海陽(読み)かいよう

改訂新版 世界大百科事典 「海陽」の意味・わかりやすい解説

海陽[町] (かいよう)

徳島県南端,海部(かいふ)郡の町。2006年3月海南(かいなん),海部,宍喰(ししくい)の3町が合体して成立した。人口1万0446(2010)。

海陽町中北部の旧町。海部郡所属。1955年浅川,川東,川上の3村が合体,町制。人口5789(2005)。海部川流域にあり,南東は太平洋に臨む。海部川河口北岸の沖積平野を占める川東地区が町の中心地で,江戸時代は徳島藩南方の防衛拠点として重視され,大里には海部御鉄砲が置かれた。周辺は四方原と呼ばれる江戸時代初期に開田された水田地帯で,近年はキュウリの一大産地となっており,ユリ,菊を中心とする花卉栽培も行われる。北部の浅川地区は良港に恵まれるため漁業が盛んで,県栽培漁業センター(現,県水産振興公害対策基金加島事業場)がある。川上地区は町北西部の山間地にあり,農林業が中心。室戸阿南海岸国定公園一部をなす大里松原,八坂八浜,海老ヶ池,海部川上流王余魚谷(かれいだに)の轟ノ滝などの景勝地がある。JR牟岐線,国道55号線が通じる。

海陽町南東部の旧町。海部郡所属。1955年鞆奥町と川西村が合体,成立。人口2342(2005)。中心地は海部川河口南岸を占める鞆奥地区で,純漁村の鞆浦と商業町の奥浦からなる。元亀年間(1570-73)海部氏が鞆浦に海部城(鞆城)を築いたのがその発祥で,蜂須賀氏の阿波入国後も阿波・土佐国境の要地として重視され,奥浦は城下町として栄えた。寛永年間(1624-44)海部城は一国一城令によって廃されたが,その後も郡代役所が置かれ,海部地方の中心的地位を占めた。北西部の川西地区は,米作,施設園芸が盛んで,同地区を流れる母川はオオウナギの生息地として天然記念物に指定されている。JR牟岐線,阿佐海岸鉄道,国道55号線が通じる。

海陽町南西部の旧町。海部郡所属。人口3376(2005)。阿土山地東斜面にあたり,町域の大部分が山地である。太平洋に面する宍喰浦が中心地で,漁港もある。農地は宍喰川沿岸低地に分布し,米作のほか,温暖な気候を利用したキュウリ,イチゴなどの施設園芸が盛んである。漁業は沿岸漁業が中心であるが,水床(みとこ)湾ではハマチフグ養殖が行われる。竹ヶ島からは遠洋漁業に出る漁民が多い。海岸線は室戸阿南海岸国定公園の一部で,竹ヶ島海中公園地区には群生する造礁サンゴと熱帯魚,貝類が見られる。水床湾は宍喰松島と称される景勝の地で,国民宿舎があり,南下する国道55号線沿いの崖には漣痕(れんこん)が見られる。阿佐海岸鉄道が通じる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「海陽」の解説

海陽

山口県防府市に本店を置く、白銀本舗杉本利兵衛本店が製造・販売する高級紅かまぼこ。「日の出かまぼこ」ともいう。

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