淀宿(読み)よどじゆく

日本歴史地名大系 「淀宿」の解説

淀宿
よどじゆく

江戸時代の東海道宿駅の一つ。伏見ふしみ宿と牧方宿(現枚方市)の間にある。東海道宿村大概帳

<資料は省略されています>

とあり、江戸・淀間の距離、宿の規模などが知られる。

同書は淀宿の概要を「農業之外旅籠屋渡世之者有之。其外、食物商ふ茶店有之。旦、納所町・水垂町・大下津町之儀は船働馬方等之者ニて諸商人・諸職人少し。池上町・下津町・新町は諸職人多し」「此宿、男は往還稼をいたし、女は糸をとり機を織る」と記す。

淀の宿建人馬は「百人百疋」で、そのうち五人・五疋が定囲、二五人二五疋が臨時御用囲と定められていた。人馬継問屋場は一ヵ所で納所のうそ町にあり、問屋二人、年寄二人、帳付三人、馬差二人の宿駅役人がいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「淀宿」の解説

淀宿
よどしゅく

東海道の宿駅(現,京都市伏見区)。古くから要地として知られる。1623年(元和9)淀藩が成立して城下町ともなった。淀川舟運の一翼をになう淀舟拠点であり,宿内には過書船(かしょせん)の賃銭高札もあった。1843年(天保14)には町並東西14町57間余,人口2847人,家数836軒,うち旅籠屋16,定人馬100人100疋,うち定囲5人5疋・臨時御用囲25人15疋。

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世界大百科事典(旧版)内の淀宿の言及

【淀】より

…淀城は宇治川と木津川の合流する三角州に位置し,納所町との間の宇治川に淀小橋,美豆村との間の木津川に淀大橋が架けられ,伏見から淀城下を経て枚方(ひらかた)へ至る往還も確立された。 《東海道宿村大概帳》によると,淀宿は1369石余で,宿内町並は東西14町57間余,本陣も脇本陣もないが旅籠屋(はたごや)が16軒,宿建人馬は100人100疋の定めで人馬継問屋場は納所町にあった。助郷(すけごう)村は乙訓・久世両郡のうちの近隣17ヵ村で助郷高合計は7114石に上った。…

※「淀宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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