映画監督。明治36年3月28日、静岡県生まれ。科学評論家の原田三夫(はらだみつお)(1890―1977)の書生を経て1922年(大正11)に松竹蒲田撮影所入社、『峠の彼方』(1924)で監督昇進。メロドラマや喜劇を得意とする多作家で、みずみずしさを評価され、終生の友の小津安二郎(おづやすじろう)と松竹蒲田(かまた)のモダンな作風を担う。朗らかなスポーツ学生が活躍する「大学の若旦那(だんな)」シリーズなど娯楽作品を手がけ、また、寂しい山村や港町を舞台に、旅芸人や渡り者の哀歓と流転を描く『浮草娘旅風俗』(1929)、『人生の風車』(1931)、『彼と彼女と少年達』(1935)などを発表。上原謙(うえはらけん)(1901―1991)や桑野通子(くわのみちこ)(1915―1946)ら新人俳優、子ども、素人を好んで起用し、1930年代後半、『有りがたうさん』(1936)などの作為を排するリアリズムで注目される。坪田譲治(つぼたしょうじ)原作『風の中の子供』(1937)で日本を代表する児童映画の監督となる。ロケーション主体の即興的演出で詩情豊かな秀作を生み、戦時下には朝鮮で撮った短篇『ともだち』(1940)、非行児童施設を扱った『みかへりの塔』(1941)が評価され、湯治場を舞台にユーモア溢れる『簪(かんざし)』(1941)などを撮った。第二次世界大戦後は1948年に戦後の独立プロの先駆となる「蜂の巣映画」を設立、伊豆の農場で戦災孤児達を育てながら「蜂の巣」3部作を自主製作。新東宝で『小原庄助(おはらしょうすけ)さん』(1949)、大映で『母のおもかげ』(1959)など母もの映画にあたり、遺作はテレビドラマ『良寛さまと子供たち』(1959)の監修。昭和41年6月23日死去。自然のままの姿と旅を愛し、共同体から疎外される人達を一貫して描いた。女優田中絹代(たなかきぬよ)は元妻。卓越した風景描写や独創的な作風が再評価されている。
[佐藤千紘]
峠の彼方(1924)
山男の恋(1924)
恋より舞台へ(1924)
白菊の唄(1924)
恋に狂ふ刃(1924)
村の牧場(1924)
篝火(かがりび)の夜(1925)
小さき旅芸人(1925)
桃色の棘(1925)
激流の叫び(1925)
義人の刃(1925)
すたれ者(1925)
一心寺の百人斬(1925)
虎徹の斬れ味(1925)
恋の捕縄(1925)
落武者(1925)
悩ましき頃(1926)
美人と浪人(1926)
心中薩摩歌(1926)
真紅の熱情(1926)
京子と倭文子(しづこ)(1926)
裏切られ者(1926)
妖刀(1926)
狂怒乱心(1926)
嘆きの薔薇(1926)
三人の娘(1927)
お照とお雪(1927)
彼と未亡人(1927)
狂恋のマリア(1927)
春の雨(1927)
恋慕夜叉(1927)
恋は曲者(1927)
炎の空(1927)
人生の涙(1927)
不景気征伐(1927)
出世の近道(1927)
田舎の伊達男(1927)
愛欲変相図(1928)
海に叫ぶ女(1928)
愛憐二人行脚(1928)
踊れ若者(1928)
昭和の女(1928)
幼なじみ(1928)
拾った花嫁(1928)
山彦(1928)
美しき朋輩たち(1928)
森の鍛冶屋(1929)
あひる女(1929)
東京の魔術(1929)
ステッキガール(1929)
浮草娘旅風俗(1929)
村の王者(1929)
陽気な唄(1929)
親(1929)
自慢の倅(1929)
不壊(ふえ)の白珠(1929)
父の願ひ(1929)
恋慕小唄(1929)
恋愛第一課(1929)
紅唇罪あり(1930)
真実の愛(1930)
岐路に立ちて(1930)
抱擁(ランブラッス)(1930)
海の行進曲(1930)
浮気ばかりは別物だ(1930)
青春の血は躍る(1930)
霧の中の曙(1930)
新時代に生きる(1930)
餓鬼大将(1931)
銀河(1931)
混戦二タ夫婦(1931)
有憂華(1931)
そりゃ実感よ(1931)
輝く愛(1931)
この母に罪ありや(1931)
人生の風車(1931)
青春図会(1931)
七つの海 処女篇(1931)
情熱(ラ・パシオン)(1932)
七つの海 貞操篇(1932)
満州行進曲(1932)
陸軍大行進(1932)
海の王者(1932)
愛の防風林(1932)
白夜は明くる(1932)
学生街の花形(1932)
暴風帯(1932)
眠れ母の胸に(1933)
泣き濡れた春の女よ(1933)
港の日本娘(1933)
恋愛一刀流(1933)
旅寝の夢(1933)
大学の若旦那(1933)
東洋の母(1934)
恋を知りそめ申し候(1934)
大学の若旦那 武勇伝(1934)
祇園囃子(1934)
大学の若旦那 太平楽(1934)
金環蝕(1934)
恋愛修学旅行(1934)
大学の若旦那 日本晴れ(1934)
東京の英雄(1935)
若旦那 春爛漫(1935)
彼と彼女と少年達(1935)
双心臓(1935)
恋愛豪華版(1935)
若旦那百万石(1936)
感情山脈(1936)
有りがたうさん(1936)
愛の法則(1936)
自由の天地(1936)
君よ高らかに歌へ(1936)
青春満艦飾(1936)
恋愛無敵艦隊(1937)
金色夜叉(1937)
恋も忘れて(1937)
さらば戦線へ(1937)
花形選手(1937)
風の中の子供(1937)
新家庭暦(1938)
出発(1938)
応援歌(1938)
按摩と女(1938)
家庭日記(1938)
居候は高鼾(1939)
子供の四季(1939)
女の風俗 第一話 お蝶さんの日記(1939)
花ある雑草(1939)
桑の実は紅い(1939)
私には夫がある(1940)
信子(1940)
ともだち(1940)
女心転心(1940)
京城(1940)
みかへりの塔(1941)
歌女おぼえ書(1941)
団栗と椎の実(1941)
暁の合唱(1941)
簪(1941)
女医の記録(1941)
兄妹会議(1942)
サヨンの鐘(1943)
必勝歌(1945)
蜂の巣の子供たち(1948)
明日は日本晴れ(1948)
娘十八嘘つき時代(1949)
小原庄助さん(1949)
母情(1950)
その後の蜂の巣の子供たち(1951)
桃の花の咲く下で(1951)
大仏さまと子供たち(1952)
もぐら横丁(1953)
都会の横顔(1953)
奈良には古き仏たち(1953)
唐招提寺にて お婆さんと子供たち(1954)
第二の接吻(1954)
しいのみ学園(1955)
次郎物語(1955)
何故彼女等はそうなったか(1956)
人情馬鹿(1956)
母を求める子ら(1956)
霧の音(1956)
踊子(1957)
母の旅路(1958)
母のおもかげ(1959)
『田中眞澄・木全公彦・佐藤武・佐藤千広著『映畫読本 清水宏』(2000/改訂版2009・フィルムアート社)』
映画監督。静岡県生れ。〈映画から極力舞台的な芝居を除きたい〉という〈実写的精神〉に基づく映画作法で,坪田譲治原作の《風の中の子供》《子供の四季》から,敗戦後,みずから世話をしていた戦災孤児たちを主人公に,カメラマン,助監督以外はすべて素人のスタッフとキャストで自主製作した《蜂の巣の子供達》(1948)とそれに続く《その後の蜂の巣の子供達》(1951),《大仏さまと子供たち》(1952)の三部作に至る,子どもを描いた数々の作品に独自の境地をひらく。また,フランク・キャプラの《或る夜の出来事》(1934)をヒントにしたといわれる《恋愛修学旅行》(1934)や,伊豆をめぐる1台のバスを舞台にした,当時としては異例のオール・ロケ撮影による《有りがたうさん》(1936)など,〈旅〉を描いた映画に秀作が多い。清水宏の〈子供もの〉〈旅もの〉は,清水が交流のあった1930年代の稲垣浩や山中貞雄が股旅もので追求した〈自然と心理を一体化して,豊かな雰囲気を醸し出す表現を現代劇で追求したもの〉といわれている。
1922年,松竹蒲田の助監督となり,24年,監督昇進。メロドラマ,喜劇など多作し,及川道子,藤井貢,上原謙,桑野通子をスターに育てる。27年,松竹蒲田の新進女優だった田中絹代と結婚し,2年後に離婚。アメリカ映画のカレッジもの,とくに《ロイドの人気者》(1925)の影響をうけた《大学の若旦那》シリーズ(1933-36)は,のちに加山雄三主演で東宝の《大学の若大将》(1961)に始まる〈若大将〉シリーズとして焼き直しされた。戦後は松竹を辞めてフリーとなる。新東宝で撮った戦後の社会状況を風刺した大河内伝次郎主演の喜劇《小原庄助さん》(1949)も超然たるユーモアをたたえた傑作。
執筆者:宇田川 幸洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大正・昭和期の映画監督
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