清河寺村(読み)せいがんじむら

日本歴史地名大系 「清河寺村」の解説

清河寺村
せいがんじむら

[現在地名]大宮市清河寺

北野貝戸きたのがいと村の東、大宮台地指扇さしおうぎ支台上にあり、同村や木下きのした村・阿弥陀寺あみだじ村との間に沖積低地が入込んでいる。村の東部と南部は台地面上で内野本郷うちのほんごう村・内野村などと接し、村の中央で上尾宿、平方ひらかた(現越谷市)川越城下などへの道が交差している。村名は古刹清河せいが寺の所在による。室町時代は上内野郷に含まれており、応永二九年(一四二二)閏一〇月七日の足利持氏御判御教書(清河寺文書)などに「足立郡上内野郷内清河寺」とみえる。江戸時代には差扇さしおうぎ領に属した(風土記稿)。田園簿では田一三八石余・畑一一六石余、ほかに山銭永三九〇文があり、旗本山内領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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