百科事典マイペディア 「清瀬一郎」の意味・わかりやすい解説
清瀬一郎【きよせいちろう】
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政治家、弁護士。兵庫県生まれ。京都帝国大学独法科卒業。弁護士から1920年(大正9)衆議院議員となる。治安維持法に反対したが、のちに国家主義的となる。東京弁護士会会長を務め、第二次世界大戦中は大政翼賛会総務などを歴任。終戦後、公職追放。極東国際軍事裁判の日本人弁護団副団長で、東条英機(とうじょうひでき)の主任弁護人となる。追放解除後政界に復帰。改進党幹事長などを歴任し、1955年(昭和30)第三次鳩山一郎(はとやまいちろう)内閣文相。1960年の新安保条約の審議に際しては衆議院議長として強行採決を行う。自民党顧問。著書に『秘録・東京裁判』など。
[小田部雄次]
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…起訴状は,訴追対象を1928年1月1日から45年9月2日までとし,28名の被告を〈平和に対する罪〉〈殺人〉〈通例の戦争犯罪及人道に対する罪〉に概括する55の訴因で起訴し,とくに訴因第1の1928年からの〈平和に対する罪〉の包括的共同謀議には全被告が該当するとした。
[裁判の経過]
公判は1946年5月3日開始し,法廷成立手続,起訴状朗読,被告の罪状認否の申立てがなされたが,清瀬一郎弁護人は裁判官忌避,裁判管轄権に対する異議申立ての動議を提出した。管轄権動議は〈平和に対する罪〉〈人道に対する罪〉が〈事後法〉(ある行動がなされたのちに,それを処罰する法を制定すること)に相当するものであり,〈罪刑法定主義〉に反するとの趣旨であったが,キーナン検事は裁判所憲章はパリ不戦条約などすでにある国際法を宣言しているものだと反駁(はんばく)し,裁判官も〈理由は将来において述べる〉として弁護側動議を却下した。…
※「清瀬一郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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