kotobank > 渡辺水巴とは
渡辺水巴【わたなべすいは】
5件の用語解説(渡辺水巴で検索)
世界大百科事典 第2版の解説-
わたなべすいは【渡辺水巴】
1882‐1946(明治15‐昭和21)
俳人。本名は義(よし)。花鳥画の大家,省亭(せいてい)(1851‐1918)の子として東京に生まれた。虚子が〈守旧派〉を標榜した大正はじめの《ホトトギス》で活躍,〈春寒く咳入る人形遣(つかい)かな〉(1913)のような江戸趣味的な情調に特色を発揮した。1916年には《曲水(きよくすい)》を創刊,主宰したが,18年の父の死を境にして,その情調に心境の陰影が加わった。27年,〈白日は我が霊(たま)なりし落葉かな〉を得た水巴は,〈静寂境に無遍の霊光を放ってゐる其の白日の玲瓏さ,荘厳さ〉(《続水巴句帖》序,1929)を,自分の生と俳句の理想とするようになった。・・・
※本文は出典元の用語解説の一部を掲載しています。
All Rights Reserved. Copyright(C)2012, Hitachi Solutions, Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
渡辺水巴 わたなべ-すいは
 
1882-1946 明治-昭和時代の俳人。
明治15年6月16日生まれ。日本画家渡辺省亭(せいてい)の長男。内藤鳴雪(めいせつ)の門人。のち高浜虚子(きょし)の教えをうけ,「ホトトギス」で活躍,大正3年には雑詠欄の代選をつとめた。明治39年「俳諧草紙」創刊。大正5年より「曲水」を主宰。昭和21年8月13日死去。65歳。東京出身。本名は義(よし)。句集に「白日」「富士」,随筆集に「路地の家」など。
【格言など】菊人形たましひのなき匂かな(「白日」)
この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2009.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
百科事典マイペディアの解説-
俳人。本名義(よし)。東京生れ。内藤鳴雪,高浜虚子に師事し,《ホトトギス》同人として活躍。1916年俳誌《曲水》を創刊主宰した。瀟洒(しょうしゃ)典雅な句風で,句集《水巴句帖》《隈笹》《富士》《新月》や,文集《路地の家》《妹》などがある。 (1882-1946)
※本文は出典元の用語解説の一部を掲載しています。
All Rights Reserved. Copyright(C)2008,2010, Hitachi Solutions ,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです
デジタル大辞泉の解説-
わたなべ‐すいは 【渡辺水巴】
[1882~1946]俳人。東京の生まれ。本名、義。内藤鳴雪・高浜虚子に学び、俳句雑誌「曲水」を創刊、主宰。句集「水巴句帖」「隈笹」「白日」。
この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
美術人名辞典の解説- 俳人。東京生。渡辺省亭の長男。名は義。内藤鳴雪・高浜虚子に師事する。俳誌『曲水』を創刊・主宰した。昭和21年(1946)歿、65才。
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
渡辺水巴に近い言葉→水巴|渡辺|渡辺綱|渡辺寿|渡辺均|渡辺広輝|渡辺春菴|渡辺孝恭|渡辺松臺|渡辺雪峰
渡辺水巴の関連情報
「渡辺水巴」に関連するTwitter- Powered by twitter
ショッピング検索
「渡辺水巴」のスポンサー検索



