俳人。本名は義(よし)。花鳥画の大家,省亭(せいてい)(1851-1918)の子として東京に生まれた。虚子が〈守旧派〉を標榜した大正はじめの《ホトトギス》で活躍,〈春寒く咳入る人形遣(つかい)かな〉(1913)のような江戸趣味的な情調に特色を発揮した。1916年には《曲水(きよくすい)》を創刊,主宰したが,18年の父の死を境にして,その情調に心境の陰影が加わった。27年,〈白日は我が霊(たま)なりし落葉かな〉を得た水巴は,〈静寂境に無遍の霊光を放ってゐる其の白日の玲瓏さ,荘厳さ〉(《続水巴句帖》序,1929)を,自分の生と俳句の理想とするようになった。句集に《水巴句集》(1915),《白日》(1936)などが,随筆集に《妹》(1948)ほかがある。
執筆者:坪内 稔典
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明治〜昭和期の俳人
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俳人。東京の生まれ。本名義(よし)。日本画家省亭の長男。日本中学中退。若くして内藤鳴雪(めいせつ)の門に入り、1906年(明治39)『俳諧(はいかい)草紙』を創刊、大正初め『ホトトギス』雑詠欄に村上鬼城(きじょう)、飯田蛇笏(だこつ)らと主要作者として活躍し、その作品は父の血脈を継いで江戸情調の流麗な唯美的色調に富むとの評価を得た。16年(大正5)『曲水(きょくすい)』を創刊して昭和俳壇の第一線に活躍を続け、没後『曲水』は妻桂子、次女恭子に受け継がれた。『水巴句集』(1915)、『白日』(1936)、『富士』(1943)などの句集のほか、随筆の著書も多い。
[村山古郷]
冬枯れて那須野(なすの)は雲の溜(たま)るところ
『『水巴句集』(1956・近藤書店)』
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