湯尾村(読み)ゆのおむら

日本歴史地名大系 「湯尾村」の解説

湯尾村
ゆのおむら

[現在地名]今庄町湯尾

日野川西岸にあり、東は日野川を挟んで八乙女やおとめ村、南は湯尾峠を越えて今庄村、北は川沿いに鯖波さばなみ(現南条町)に至る。「太平記」巻一八に「杣山ノ城ノ麓ナル湯尾ノ宿」とみえ、古くから街道沿いの宿場であったらしい。同書によれば、延元元年(一三三六)挙兵した南朝方瓜生氏の杣山そまやま(跡地は現南条町)を攻めようとした高師泰の軍勢が、湯尾宿で夜襲を受けて敗走、湯尾の在家は火をかけられた。「蔭涼軒日録」長禄四年(一四六〇)六月一九日条に「広覚寺領越前柚尾・宅良」とみえる「柚尾」は当地をさす。

湯尾村
ゆのおむら

[現在地名]諫早市湯野尾町ゆのおまち

中本明なかほんみよう村の北に位置し、本明川支流の湯野尾川が流れる。江戸時代ははじめ肥前佐賀藩親類同格の諫早家領で、本明村より分村したという。正保国絵図に「湯ノ尾村」とあり、高八三石余。同絵図では南に帯田おびた村・目代めしろ村、西に円京えんきよう村、東に古城こじよう(古場山村)が記される。寛文四年(一六六四)の鍋島光茂領知目録(寛文朱印留)では湯尾村、天明七年(一七八七)の佐賀領村々目録では湯之尾村として高九三石余。安政二年(一八五五)の佐賀領郷村帳(佐賀県立図書館蔵)では諫早私領分としてみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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