満仁村(読み)まにむら

日本歴史地名大系 「満仁村」の解説

満仁村
まにむら

[現在地名]七尾市満仁町

池崎いけざき村の西、二宮にのみや川に伊久留いくろ川・吉田よした川が合流する辺りの右岸に位置する。地名はかつて摩仁殿があったからというが(宇ぶ砂土筆)、不詳。加賀藩領であるが、元和五年(一六一九)四月二〇日前田利常が長安芸に宛てた知行方所付目録(加賀藩農政史考)に、高三万一千石能登半郡「右高の内五〇石分川東満仁村」とみえ、一時期長領を含む時代があった。正保郷帳によると加賀藩直轄領分は高一〇一石余、田方五町七反余・畑方一町。長領の高九九石余、田方五町六反余・畑方一町、免は三ツ五歩二厘。承応二年(一六五三)の加賀藩領役棟八(「棟役調」鹿島郡誌)。以降長領の史料はみえず、寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高一〇八石、免五ツ四歩、小物成は山役四五匁・苦竹役九匁、鳥役二匁(出来)があった(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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