滝沢町(読み)たきざわまち

日本歴史地名大系 「滝沢町」の解説

滝沢町
たきざわまち

[現在地名]会津若松馬場本町ばばもとまち昭和町しようわまち相生町あいおいまち旭町あさひまち蚕養町こがいまち・滝沢町

郭外北部にあたり、うわ(大町より東で、甲賀町までの町々の総称)の北にある数条の通りを、すべて滝沢町といった。滝沢村に往来する道なのでこの名がついた。甲賀こうか町の北端に続く通りを妙法寺前みようほうじまえ通といい、長さ二町一〇間余・幅三間、家数八。この通りの東側に日蓮宗久福きゆうふく寺があり、すぐ北隣に妙法みようほう寺がある。久福寺の向いに浄土宗智光寺があったが廃寺になった。通り北端西側の浄土宗龍眼寺も廃寺になった。妙法寺前通の北、龍眼寺の南を西に折れる通りが八十人町はちじゆうにんまちなが丁で、長さ二町一二間・幅九尺、家数四二。

滝沢町
たきさわちよう

[現在地名]函館市滝沢町

昭和一一年(一九三六)から続く町。同年六月に亀田かめだ郡湯川村が湯川町となった時、旧大字下湯川村の字滝ノさわの一部を中心に字湯ノ沢ゆのさわ・字中野なかの・字寺野頭てらのかしらナシノさわ・字頭無ノ沢かしらなしのさわ・字萬次郎沢の各一部を加えて字滝沢町とした(湯川町字地番改正調書)。同年の字滝沢町の戸数三〇(湯川沿革史)。同一四年に湯川町は函館市と合併し、函館市字滝沢町となり、翌年同市滝沢町となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報