世界大百科事典(旧版)内の潟町の言及
【大潟[町]】より
…1756年(宝暦6)には砂丘を切って新堀川が通じ,潟川は直接日本海に注ぐようになった。近世まで北国街道の宿場であった潟町を除けば半農半漁村である。第2次世界大戦前は直江津臨海工業地域の労働力の供給地であったが,1957年帝国石油の潟町ガス・油田が開発されて一躍石油の町となった。…
※「潟町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…1756年(宝暦6)には砂丘を切って新堀川が通じ,潟川は直接日本海に注ぐようになった。近世まで北国街道の宿場であった潟町を除けば半農半漁村である。第2次世界大戦前は直江津臨海工業地域の労働力の供給地であったが,1957年帝国石油の潟町ガス・油田が開発されて一躍石油の町となった。…
※「潟町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新