潮田益子(読み)うしおだますこ

百科事典マイペディア 「潮田益子」の意味・わかりやすい解説

潮田益子【うしおだますこ】

ヴァイオリニスト。旧満州国奉天市(中国瀋陽市)に生まれる。斎藤秀雄吉田秀和らの桐朋学園子供のための音楽学校で学び,13歳で東京交響楽団との共演で演奏家デビュー。雙葉学園中等部をへて桐朋学園高校で小野アンナ,斎藤秀雄に師事,同校を卒業後,レニングラード音楽院留学,1963年エリザベート王妃国際音楽コンクールで5位に入賞,1964年から,スイスモントルーでヨーゼフ・シゲティに師事した。1966年チャイコフスキー国際コンクールで2位に入り世界的に注目された。ロンドン交響楽団シカゴ交響楽団ボストン交響楽団等と共演,アメリカで最も古い音楽大学であるボストンのニューイングランド音楽院の教授を務めた。小澤征爾率いるサイトウ・キネン・オーケストラや水戸室内管弦楽団の主要メンバーでもあった。2013年5月マサチューセッツ州ケンブリッジで,白血病で死去した。夫はニューイングランド音楽院の元学長でチェリストのローレンス・レッサー。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「潮田益子」の解説

潮田益子 うしおだ-ますこ

1942-2013 昭和後期-平成時代のバイオリニスト
昭和17年4月4日満州(中国東北部)奉天(現瀋陽)生まれ。桐朋学園子供のための音楽教室をへて桐朋学園女子高に学び,小野アンナ,斎藤秀雄らに師事。卒業後ソ連などに留学。ワイマンやシゲティに師事。昭和38年エリザベート王妃国際音楽コンクール入賞,41年チャイコフスキー国際コンクール2位。国際的なソリストとして活動。ボストンのニューイングランド音楽院教授として後進の指導にもあたり,サイトウ・キネン・オーケストラなどの中心メンバーとしても活躍した。平成25年5月28日死去。71歳。レニングラード音楽院卒。

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世界大百科事典(旧版)内の潮田益子の言及

【チャイコフスキー国際音楽コンクール】より

…おもな入賞者には,ピアノのバン・クライバーン(1958),ウラジーミル・アシケナージ(1962),バイオリンのギドン・クレメル(1970),声楽のエレーナ・オブラスツォワ(1970)らがいる。日本人ではバイオリンの潮田益子(1966),チェロの岩崎洸(1970)らが入賞している。【成沢 玲子】。…

※「潮田益子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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