瀬戸町(読み)せとちよう

日本歴史地名大系 「瀬戸町」の解説

瀬戸町
せとちよう

面積:四三・〇二平方キロ

赤磐郡南部に位置し、東端を吉井川が南流。東は備前市・熊山くまやま町、北は熊山町、西は山陽さんよう町、南は岡山市。北部と南部にほぼ東西に走る標高二〇〇―四〇〇メートルの小連山に挟まれ、狭長な平野が形成されている。これに吉井川流域・小谷間地を含め平坦地は四三・九パーセント。JR山陽本線が中央の平坦部を東西に走り、主要地方道も東西に通じ、瀬戸駅・万富まんとみ駅周辺の商店街と水稲・果樹栽培を中心とする農村地帯からなる。

瀬戸町
せとちよう

面積:三二・二〇平方キロ

佐田岬さだみさき半島中部の農漁業の町。国道一九七号が八幡浜やわたはまから三崎みさき町に向けて通ずる。南の宇和海側は断層海岸で平地は乏しく、三崎灘には砂浜が長く形成されている。北の伊予灘側には湾入部が多く集落も発達し、とくに三机みつくえ港は良港として知られた。三崎灘に面する川之浜かわのはまの砂浜では牛の放牧が有名で、大久おおくでは毎月子牛の定期市場が開かれる。

山稜部には、東から権現ごんげん(約三〇〇メートル)見晴みはらし(三九五メートル)大森おおもり(二九一メートル)などがある。

瀬戸町
せとまち

[現在地名]金沢市幸町さいわいまち

法然寺ほうねんじ橋の川縁裏町で小家がわずかに建つのみ。所在地が人家の背後であったことから瀬戸町は背戸町の意か(金沢古蹟志)町立ての時期は不詳。法然寺はかつて百姓ひやくしよう慶覚きようかく寺の向小路にあって、本多氏下屋敷への往来の橋を法然寺橋とよんだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報