瀬田掃部(読み)せた・かもん

朝日日本歴史人物事典 「瀬田掃部」の解説

瀬田掃部

没年文禄4.12.12(1596.1.11)
生年:生年不詳
安土桃山時代武将利休七哲のひとり。名は正忠,のち伊繁。初め小田原北条氏,のち豊臣秀吉に仕えて近江の地を与えられた。天正12(1584)年ごろから茶会に名がみえる。13年従五位下掃部頭に叙任。15年九州の役に従軍。18年の小田原の役には相模玉縄城を攻め落とし入城,古田織部らと共にこれを守備した。同19年,後陽成天皇聚楽第行幸には秀吉の前駆を務めた。文禄4(1595)年豊臣秀次の自刃事件に連座して刑死。櫂先の大振りな掃部作の茶杓はのちに「掃部形」と呼ばれるようになった。<参考文献>村井康彦『利休七哲宗旦四天王』

(谷端昭夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「瀬田掃部」の解説

瀬田掃部 せた-かもん

1548-1595 織豊時代武士,茶人。
天文(てんぶん)17年生まれ。豊臣秀吉につかえ,近江(おうみ)(滋賀県)に領地をあたえられた。茶の湯千利休高弟で,利休七哲のひとり。おおきな平高麗茶碗と掃部形とよばれる大形の茶杓をもちいた。豊臣秀次事件に連座し,文禄(ぶんろく)4年7月5日刑死。48歳。名は正忠,伊繁(これしげ)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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