炭太祇(読み)タンタイギ

デジタル大辞泉 「炭太祇」の意味・読み・例文・類語

たん‐たいぎ【炭太祇】

[1709~1771]江戸中期の俳人。江戸の人。40歳を過ぎてから京都大徳寺の僧となり、のち島原遊郭に不夜庵を結び、与謝蕪村よさぶそんらと俳諧三昧ざんまい生活を送る。句集太祇句選」など。

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精選版 日本国語大辞典 「炭太祇」の意味・読み・例文・類語

たん‐たいぎ【炭太祇】

  1. 江戸中期の俳人。江戸の人。初号、水語。別号、不夜庵など。雲津水国慶紀逸師事。四〇歳を過ぎ上洛仏門に帰依し道源と号したが間もなく転身し遊里島原に居を移した。晩年蕪村と親交があり、以後すぐれた作品を多く残している。句集に「太祇句選」がある。宝永六~明和八年(一七〇九‐七一

すみ‐たいぎ【炭太祇】

  1. たんたいぎ(炭太祇)

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朝日日本歴史人物事典 「炭太祇」の解説

炭太祇

没年:明和8.8.9(1771.9.17)
生年:宝永6(1709)
江戸中期の俳人。炭は「すみ」とも。初号水語。別号不夜庵,徳母ほか。江戸の人。初め雲津水国門,のち慶紀逸門。寛延3(1750)年ごろ江戸判者に列した。宝暦1(1751)年奥羽を行脚し,秋ごろ上洛。翌2年2月,九州に杖を引き,5月に帰洛,そのまま京に住みついた。その後仏門に帰依し,同3年秋には法体して大徳寺真珠庵に入って道源と名乗った。やがてその僧房も出て,妓楼桔梗屋の主人呑獅の招きに応じて島原の不夜庵に居を移し,手習師匠兼業の宗匠となった。宝暦6(1756)年江戸へ帰省して師紀逸らと旧交を温めているが,その後活動は停滞する。明和3(1766)年夏,亡師宋阿(早野巴人)の夜半亭を継いだ与謝蕪村が俳諧結社「三菓社」を結成し,芭蕉の顕彰と俳風の革新を叫び始めると,太祇も刺激されて俳諧に復帰,以後没するまで6年間に彼の名を不朽のものとする作品を残す。遺句集に『太祇句選』(1772)があり,その作風は多様な趣向と的確な表現技巧に特色がある。「やぶ入の寝るやひとりの親の側」など人事句を得意とするが,「行く先に都の塔や秋の空」など叙景句にも優れたものがある。中興俳諧の最盛期に先立って没したにもかかわらず,当代の大家のひとりとして蕪村と並称される。<参考文献>池上義雄「炭太祇」(明治書院『俳句講座』3巻)

(加藤定彦)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「炭太祇」の意味・わかりやすい解説

炭太祇
たんたいぎ

[生]宝永6(1709).江戸
[没]明和8(1771).8.9. 京都
江戸時代中期の俳人。本姓不詳。別号,水語,宮商洞,三亭,不夜庵,徳母。法号,道源。水国,紀逸に師事,江戸座の宗匠となった。宝暦初め京都に移り,仏門に帰依して大徳寺に住した。宝暦4 (1754) 年一転して島原遊郭の中に不夜庵を結んで住み,桔梗屋の主人呑獅 (どんし) をはじめ妓楼の主人や遊女に俳諧を教えた。晩年は与謝蕪村と特に親しく交わり句作に精進。編著『都のつと』 (1752) ,『太祇句選』 (68) ,『太祇句選後編』 (77) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「炭太祇」の解説

炭太祇 たん-たいぎ

1709-1771 江戸時代中期の俳人。
宝永6年生まれ。雲津水国(くもつ-すいごく),慶紀逸(けい-きいつ)にまなぶ。諸国行脚して京都大徳寺の真珠庵にはいった。のち杉呑獅(どんし)にさそわれ,島原郭内にすむ。与謝蕪村(よさ-ぶそん)ともまじわった。明和8年8月9日死去。63歳。江戸出身。別号に水語,不夜庵など。法号は道源。姓は「すみ」ともよむ。著作に「太祇句選」など。
【格言など】初恋や灯籠(とうろう)によする顔と顔(「太祇句選」)

炭太祇 すみの-たいぎ

たん-たいぎ

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百科事典マイペディア 「炭太祇」の意味・わかりやすい解説

炭太祇【たんたいぎ】

太祇(たいぎ)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「炭太祇」の意味・わかりやすい解説

炭太祇
たんたいぎ

太祇

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世界大百科事典(旧版)内の炭太祇の言及

【太祇】より

…江戸中期の俳人。姓は炭(たん),別号は水語,不夜庵,三亭,宮商洞など。江戸の人か。俳諧は初め沾洲(せんしゆう)門の水国に学び,水語と号したが,1734年(享保19)水国が没し,やがて紀逸につく。48年(寛延1)太祇と改号,2年後の《時津風》には三亭太祇とあって,そのころ宗匠となったものと考えられる。51年(宝暦1)ころ京都に上り,翌年には五雲とともに九州におもむくが,5月にもどって京都に住みついた。…

※「炭太祇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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