熊沢蕃山墓(読み)くまざわばんざんのはか

日本歴史地名大系 「熊沢蕃山墓」の解説

熊沢蕃山墓
くまざわばんざんのはか

鮭延寺の墓域右側にあり、妻いちの墓と並んで建つ。高さ三尺五寸ほど。蕃山墓碑には「熊沢息游軒伯継之墓」、妻の墓碑には「息游軒妻矢部氏之墓」と刻み、蕃山の墓は県指定史跡。蕃山は八歳の時に外祖父で水戸の徳川頼房に仕えた熊沢守久の養子となる。陽明学者として知られ、岡山藩主池田光政に仕えて信任を得、諸大名の尊信を集めたが、異聞も多く、三九歳で引退し、以後三〇余年は不遇の浪々生活に終始した。しかし、その間数多くの好著を成した。五一歳のとき幕命によって播磨明石藩主松平信之に預けられ、以後松平氏の移封に従って大和矢田山から古河へ移り、古河で著した政治意見書のために古河城の頼政よりまさ郭に禁錮の身となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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