熱田貝塚(読み)あつたかいづか

精選版 日本国語大辞典 「熱田貝塚」の意味・読み・例文・類語

あつた‐かいづか‥かひづか【熱田貝塚】

  1. 名古屋市熱田区の熱田神宮外苑を中心とする広い地域にわたって点在する彌生時代貝塚群。前期から後期に至る彌生土器ほか土師(はじ)器・須恵器出土高蔵貝塚

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日本歴史地名大系 「熱田貝塚」の解説

熱田貝塚
あつたかいづか

[現在地名]恩納村安富祖 熱田

貝塚時代後期―グスク時代初期の集落跡。「あった」とよぶ。安富祖あふそ小学校校庭から国道五八号、集落内へと広がる。標高約三メートルの砂丘上に立地。一九五八年(昭和三三年)に採砂工事中に発見、六〇年と七八年に発掘調査が行われた。国道部分は後期の土器が主体で、グスク土器と類須恵器が若干出土し、中国唐代の貨幣開元通宝二点も見つかっている。校庭部分では後期の包含層が確認されており、少量のグスク土器や刀子が出土している。

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改訂新版 世界大百科事典 「熱田貝塚」の意味・わかりやすい解説

熱田貝塚 (あつたかいづか)

名古屋市熱田区外土居町から高蔵町一帯にある,弥生時代前期から中期・後期,さらに古墳時代にわたる大遺跡。1898年に発見され,次いで1908年鍵谷徳三郎により弥生式土器と石器の共存が確認報告されたことは学史に名高い。43年東大人類学教室,54年に南山大学が発掘。高蔵町には弥生時代前期の貝塚があり,西日本系の前期弥生式土器と縄文系の条痕土器が混在して出土した。弥生時代中期は外土居町が主となり,後期は遺物層が全域にひろがる。石鏃,大型と小型の石斧,石槌凹石石庖丁,骨銛のほか,線刻のある馬骨や抜歯のある人骨も出土した。素地が白色で赤塗と櫛目文で飾られた壺は,通称〈宮廷式(パレス・スタイル)〉と呼ばれ,著名である。付近一帯は,かつて縄文期や弥生期の小貝塚や遺構,あるいは古墳が散在し,広い遺跡地帯をなしていたが,現在は市街地化がすすみ,消滅した地点も多い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「熱田貝塚」の意味・わかりやすい解説

熱田貝塚
あつたかいづか

名古屋市熱田区沢上(さわかみ)、外土居(そとどい)町、高蔵(たかくら)町、夜寒(よさむ)町など、熱田台地の東側に点在する弥生(やよい)時代の貝塚。高蔵貝塚ともよばれる。主として海産の貝類よりなり、前期より後期に至る各様式の弥生土器のほか、土師器(はじき)、須恵器(すえき)も出土する。明治30年代からすでに遺物が採集されていたが、1908年(明治41)鍵谷徳三郎が、弥生土器に石器が共伴する事実と、刻(きざ)み目のついた馬骨の出土を報告して、学界の注目を集めた。以来たびたび小発掘が行われ、抜歯のある人骨や、パレス・スタイルとよばれる華麗な土器が発見されたことなども、本遺跡を有名にした。しかし、本格的発掘調査はついに行われずに、市街化してしまった。

[加納俊介]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「熱田貝塚」の意味・わかりやすい解説

熱田貝塚
あつたかいづか

愛知県名古屋市熱田区にある弥生時代前期から後期の遺跡。 1907年に発見され,弥生土器に石器が伴出したことから,弥生土器が石器時代の所産と認められた。当時は縄文土器と弥生土器の編年が問題にされていたときで,両文化の位置づけに寄与した。

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