牛の峠(読み)うしのとうげ

日本歴史地名大系 「牛の峠」の解説

牛の峠
うしのとうげ

日南市酒谷甲さかたにこう北諸県きたもろかた三股みまた宮村みやむらとの境、牛の嶺うしのみね尾根筋に位置する峠で、牛之峠・牛ノ峠などとも書いた。飫肥おび地方と庄内しようない地方の境界をなし、峠の東側(飫肥地方、日南市側)広渡ひろと川水系酒谷川の、西側(庄内地方、三股町側)は大淀川水系萩原はぎわら川支流高畑たかはた川・寺柱てらばしら川のそれぞれ源流部となっている。江戸時代には那珂・諸県両郡の郡境、飫肥藩と鹿児島藩の藩境をなしていた。

明治二三年(一八九〇)に開かれた新村しんむら林道は牛の嶺の尾根筋を標高約七〇〇メートルの鞍部で越えていて、現在はこの鞍部を牛の峠とよんでいる。しかしこの道が開かれる以前は、現在の牛の峠から南東方へ六、七百メートルほど、牛の嶺北方の標高約七九〇メートルの尾根上が当峠で、酒谷川沿いにさかのぼり、新村三角石さんかくいし渡から五塚ごづかを経由していちノ坂を西へ上り、牛の嶺・当峠を経て諸県郡寺柱村(現三股町)から都城に至る道が通っていた。この道は飫肥側からは都城往還、庄内側からは牛ノ嶺往還などとよばれ、飫肥地方と庄内地方とを結ぶ最短路の一つとして利用されてきた。峻坂ではあったが、麓から峠まで上り坂ばかりで、ほかの山道のように上ったり下ったりすることや谷渡りがなく、歩きやすかったという(日向地誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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