牧沢村(読み)まきざわむら

日本歴史地名大系 「牧沢村」の解説

牧沢村
まきざわむら

[現在地名]柳津町牧沢

西側をひがし川が北流し、北はなか村、北西五畳敷ごじようじき村、南東鳥屋とや村。海老山えびやま(現会津高田町)へ至る道に沿う。本村の西一町一〇間余に端村猿倉さるくらがあり、「長十一間土橋」を渡って至る(新編会津風土記)。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高八六石余。寛永二〇年(一六四三)より南山御蔵入領となり、延宝九年(一六八一)滝谷組高反別古記(片山家文書)では高一〇五石、免四ツ一分、家数二四、竈三三、男一〇〇・女六三、馬一六とある。


牧沢村
まきさわむら

[現在地名]一関市真柴ましば

鬼死骸おにしがい村の東にあり、北東滝沢たきざわ(牧沢川)が流れる。東は滝沢村。南北に石巻街道が通る。地名は藤原氏時代の牧場だったことに由来するともいわれる。正応年間(一二八八―九三)と推定される五月二八日付宗清書状(中尊寺文書)には、牧沢伊豆入道が平泉の代官となるよう依頼されており、この牧沢伊豆入道を当地の領主とする説がある。正保郷帳に村名がみえ、田二七貫六九九文・畑四貫一八文、ほかに新田一貫五四三文があり、柴山と注記される。領主の変遷は一関村と同じ。天和元年(一六八一)の田村氏知行目録(肯山公治家記録)では三八貫二五五文。「安永風土記」では田三三貫九一五文・畑五貫四一〇文。人頭三九・家数三九、男一〇九・女九九、馬四二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android