牧田 きせ(読み)マキタ キセ

20世紀日本人名事典 「牧田 きせ」の解説

牧田 きせ
マキタ キセ

明治〜昭和期の看護婦



生年
明治23(1890)年

没年
昭和46(1971)年2月22日

出生地
岐阜県大野郡丹生川村新張

学歴〔年〕
日赤看護学院〔明治43年〕卒

主な受賞名〔年〕
ナイチンゲール記章〔昭和40年〕

経歴
日露戦争がきっかけで看護婦を志す。日赤中央病院に勤務し、乃木希典の看護にもあたった。米国で公衆衛生学、看護婦養成法を学ぶことを希望し、大正4年ロサンゼルス病院に派遣される。排日運動の中で在留邦人をよく看護し、昭和9年帰国。12年日中戦争が始まると上海派遣特別救護班婦長として上海野戦病院に勤務。のち東京第一病院などを経て、第二次大戦の際には海軍病院船に乗組み看護婦長として活躍。戦後帰郷し、高山日赤高等看護学院、不二越病院附属高等看護学院講師をつとめ、後進の育成にあたった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牧田 きせ」の解説

牧田きせ まきた-きせ

1890-1971 明治-昭和時代の看護婦。
明治23年生まれ。日赤中央病院から大正4年ロサンゼルス病院に派遣され,公衆衛生,看護婦養成法をまなぶ。日中戦争,第二次大戦に婦長として従軍。戦後は高等看護学院講師をつとめた。40年ナイチンゲール記章。昭和46年2月22日死去。81歳。岐阜県出身。日赤看護学院卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例