犬田村(読み)いぬだむら

日本歴史地名大系 「犬田村」の解説

犬田村
いぬだむら

[現在地名]岩瀬町犬田

岩瀬盆地の最北西にあり、東は水戸みと村、北は西新田にししんでん村。村の東側には雨引あまびき山に連なる長峰ながみね山・永楽えいらく山・金畑かねはたヶ山などがある。応永二七年(一四二〇)一〇月四日の伊勢貞経書状(法華堂文書)

<資料は省略されています>

とあり、室町幕府政所執事伊勢貞経が中郡惣代官大田五郎左衛門入道と訓公首座禅師に同郷を法華ほつけ堂に去り渡すことを命じている。

江戸時代は笠間藩領で、「寛文朱印留」に村名が載る。犬田村差出帳(仙波家文書)によると、慶安三年(一六五〇)検地で村高七九八・一二一石となり、万治三年(一六六〇)と延宝五年(一六七七)の新開検地で合せて七石余を打出した。

犬田村
いんだむら

[現在地名]豊後高田市さかい 犬田

下来縄しもくなわ村の西に位置し、くり山北東方の田笛たぶえ川中流域の低い台地上に広がる。西は宇佐郡東大堀ひがしおおほり(現宇佐市)。江戸時代の領主変遷は上来縄村に同じ。慶長豊後国絵図に村名がみえ、高二八九石余。小倉藩元和人畜改帳では高二八八石余、家数二五(うち百姓一〇・社人一、名子・庭屋・牛屋・裏や一三)・人数三六(うち百姓一〇、名子・下人一)、牛三・馬二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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