猪隈殿跡(読み)いのくまどのあと

日本歴史地名大系 「猪隈殿跡」の解説

猪隈殿跡
いのくまどのあと

院政期から鎌倉初期にかけて摂政・関白を務めた近衛基通の邸宅。「山槐記」治承三年(一一七九)一一月二六日条には「今夜、関白自近衛北室町、被六条北堀川西故美福門院ノ御乳母伯耆局ノ宅」と、基通が、その父基実の近衛室町の近衛殿このえどの(現上京区)から、鳥羽皇后美福門院の乳母伯耆局の旧宅であった六条大路北・堀川小路西の邸宅に移った記事がみえる。また「吉記」治承五年三月一日条には「令御六条堀川御宿所摂政始令住給所也」とあって、基通の代になって営まれた邸宅であったことがわかる。

この六条堀川邸を猪隈殿とよんだ記事は不詳だが、同邸を伝領したと考えられる基通の子家実について、「古今著聞集」には「猪隈殿ハ関白左大臣家実公ノ第ナリ」とあり、「山城名勝志」「山州名跡志」はともにこの六条堀川邸を猪隈殿としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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