猿城跡(読み)さるばみじようあと

日本歴史地名大系 「猿城跡」の解説

城跡
さるばみじようあと

[現在地名]坂祝町勝山

木曾川北岸、山が木曾川に迫り、美濃と尾張国境の交通の要衝をなす。根尾山ねおやま城・勝山かつやま城ともいう。現在山頂には平地が残り、城洞しろぼらという地名が残る。「美濃雑事紀」は、「堂洞軍記」にみえる猿尾山さるおやま城を当城のこととし、「桜谷水より北の方へ凡そ八町余登る、天守台、櫓台、石垣存在す(中略)巌を押分々々数千丈を登り漸く山頂古城址に至る。

城跡
さるはみじようあと

[現在地名]門司区猿喰

鹿喰かじき峠の山頂(標高約二〇八メートル)にある中世城館の跡。門司氏の拠点城郭の一つ。南北朝期、武家方であった吉志系門司(下総)親尚は、関門海峡を渡海してきた大内弘世とともに、貞治二年(一三六三)末頃より宮方の伊川系門司親頼らが籠る「猿喰城」を攻撃、「凶徒等数十人討取」り、ことごとく退治したという(貞治三年三月日「下総親尚軍忠状」門司文書/南北朝遺文(九州編)四)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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