玄々集(読み)ゲンゲンシュウ

デジタル大辞泉 「玄々集」の意味・読み・例文・類語

げんげんしゅう〔ゲンゲンシフ〕【玄々集】

平安中期の私撰和歌集。1巻。能因のういん撰。永承年間(1046~1053)の初めごろに成立一条天皇から後朱雀ごすざく天皇までの間の秀歌160余首を作者別に収める。

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精選版 日本国語大辞典 「玄々集」の意味・読み・例文・類語

げんげんしゅうゲンゲンシフ【玄々集】

  1. 平安中期の私撰集一巻能因撰。寛徳二から永承元年(一〇四五‐四六)頃の成立とされる。藤原長能公任、道綱の母、和泉式部、赤染衛門ら九一人の歌人の作品一六七首を作者別に収めたもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玄々集」の意味・わかりやすい解説

玄々集
げんげんしゅう

平安中期の私撰(しせん)集。能因撰。寛徳(かんとく)年間(1044~46)以後まもなくの成立。能因の生存時に重なる歌人92名の作者別秀歌撰で、167首からなる。紀貫之(きのつらゆき)の『新撰和歌』や藤原公任(きんとう)の『三十六人撰』などの先行書からの影響が考えられる。入集(にっしゅう)歌数の多い歌人は、藤原長能(ながよし)(10首)、藤原道綱母(みちつなのはは)(7首)、藤原公任、赤染衛門(あかぞめえもん)、和泉(いずみ)式部(6首)などである。総じて能因の和歌鑑賞眼の的確さを示しており、『後拾遺(ごしゅうい)集』の編者藤原通俊(みちとし)は、撰集資料としてこれを敬して遠ざけたが、後の勅撰集『金葉集』『詞花(しか)集』の重要な資料源となった。

[川村晃生]

『川村晃生著『能因法師集・玄々集とその研究』(1979・三弥井書店)』

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