玉名郡(読み)たまなぐん

日本歴史地名大系 「玉名郡」の解説

玉名郡
たまなぐん

面積:二七一・八〇平方キロ
長洲ながす町・岱明たいめい町・南関なんかん町・三加和みかわ町・菊水きくすい町・横島よこしま町・天水てんすい町・玉東ぎよくとう

県の西北部に位置し、北は筑肥山地、南部は有明海に面する。郡域は南北に長く、西部の玉名市を挟んで岱明町・長洲町が位置する。菊池川が郡央を西流し、北部山中から南流する和仁わに川・十町じつちよう川・岩村いわむら川などを合流、西部をせき川が南流する。北は福岡県三池みいけ郡、東は鹿本かもと郡・山鹿やまが市、南は飽託ほうたく郡、西は玉名市・荒尾あらお市と福岡県大牟田おおむた市と接する。鹿児島本線が玉東町・岱明町を通り、九州自動車道が南関町北部から菊水町南東部に抜け、国道四四三号が北部を、国道二〇八号が南部を走る。昭和一七年(一九四二)まで現荒尾市の大半が、同二九年まで現玉名市域が属した。玉名の地名は「日本書紀」巻七に「玉杵名」とあり「たまきな」と訓ぜられるが、「和名抄」国郡の「玉名郡」には「多万伊奈」と訓が付され、「たまきな」から「たまいな」、のちに「たまな」と変化したものとされる。

〔原始・古代〕

先土器時代の遺物は、菊水町の中原なかばる下津原しもつはらからナイフ形石器・台形石器・尖頭器などが発見されているが、顕著な遺跡はまだみられない。縄文期になると遺跡数は飛躍的に増大し、時期的にも早期から晩期まで連続性がみられるが、数的には後期以降の遺跡が多い。菊池川流域には、横島町のビナワラ・キャアガラワラ、天水町竹崎たけざき久島くじま尾田おた湯浦ゆのうら、岱明町の庄司しようじ古閑原こがばる、菊水町の若園わかぞのなど大小の貝塚があり、その分布から当時の海岸線が推定される。弥生前期の遺跡も菊池川流域にあり、天水町の斎藤山さいとうやま貝塚や岱明町の中道なかみち貝塚などが確認され、斎藤山貝塚出土の鉄斧は日本最古の鉄器とされる。弥生中期になると甕棺遺跡が各地にみられ、支石墓も知られる。弥生後期では集落の規模も増大し、岱明町下前原しもまえばる遺跡、菊水町諏訪原すわのはる遺跡は多くの竪穴住居跡が検出されている。古墳時代の遺跡は県下でも有力地帯を形成し、大小河川の流域の台地に散在している。前期では岱明町院塚いんづか古墳、中期では豊富な副葬品を出土した菊水町江田船山えたふなやま古墳がある。後期古墳は全郡域にあり、地域の特色ともいえる装飾古墳群・横穴群が目につく。

玉名郡の郡衙跡(郡家・郡倉・郡寺)は玉名市立願寺りゆうがんじにあり、郡司は日置氏と考えられている。菊水町瀬川せがわに俗に「イッチョ墓」とよばれる一画があり、寛政六年(一七九四)に発見された骨壺の中に銅板墓誌があり、「開白七道西海道大宰府 玉名郡人権擬少領外少初位下日置郡公 又治地高野山」と記されていたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報