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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸末期から明治初期の漆工。高松の鞘塗師(さやぬし)藤川理左衛門の子で、名は為造(ためぞう)、通称は正直または敬造。象谷は号。父から漆塗と彫刻を修得し、のち中国の存星(ぞんせい)、堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)、紅花緑葉(こうかりょくよう)やタイの蒟醤(きんま)塗の技術を会得、独自の技法に消化した作風を開拓した。1830年(天保1)藩主松平頼恕(よりひろ)の庇護(ひご)を受けて玉楮姓を受け、その作品は高松藩を代表する名品として将軍や大名への贈り物になり、全国的な名声を博した。彼の作品は象谷塗、讃岐彫(さぬきぼり)とよばれて今日の高松漆器、香川漆器の源流となった。また網代素地(あじろきじ)の籃胎(らんたい)漆器に特色があり、その代表作に松平公益会の『蒟醤竜文料紙箱および硯(すずり)箱』がある。その技術は弟の藤川黒斎(こくさい)(文綺堂(ぶんきどう))、子の蔵黒(ぞうこく)理吉・藤樹らによって受け継がれた。
[郷家忠臣]
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(小松大秀)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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…同じく明治以来の伝統をもつ大川町一帯のボタン工業と志度町の桐下駄製造は振るわない。高松市を中心とした讃岐漆器は幕末に玉楮象谷(たまかじぞうこく)によって創始され,高松藩の保護下に発展,その伝統を生かした高級品志向で着実な地歩をえ,1976年伝統的工芸品の国指定を受けた。象谷塗,きんま,後藤塗など特殊技法を駆使し,人間国宝を何人も生み出している。…
…日本では遅くとも16世紀初めには堆朱(ついしゆ)や鎗金の器とともに舶載されており,《君台観左右帳記》に〈存星〉の記載があり,沈金に似たものでまれである,と説明を加えている。日本で存星を模した作品がつくられるのは江戸時代で,玉楮象谷(たまかじぞうこく)が独自に工夫して象谷塗として広めた。【中里 寿克】。…
※「玉楮象谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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