玉造国分町(読み)たまつくりこくぶちよう

日本歴史地名大系 「玉造国分町」の解説

玉造国分町
たまつくりこくぶちよう

[現在地名]東区もり宮中央みやちゆうおう一丁目

単に国分町ともいう。玉造丸葉たまつくりまるは町・同八尾やお町の東にあり、南北に延びる両側町で北は玉造口定番与力同心屋敷。「天保町鑑」に「玉造いなりうら門前より三筋東ノ丁、大和橋通より北へ」とある。古町名は明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図にみえる伏見清水ふしみしみず町で、元禄六年(一六九三)町からの願いで国分町となった(大坂町之内町名替り候写)。安政三年(一八五六)水帳(大阪市立中央図書館蔵)の奥書写でも明暦元年から寛文二年(一六六二)までの分は伏見清水町、元禄六年から享保一一年(一七二六)は国分町、宝暦三年(一七五三)からは玉造国分町となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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