玉造宜町(読み)たまつくりねぎまち

日本歴史地名大系 「玉造宜町」の解説

玉造宜町
たまつくりねぎまち

[現在地名]東区玉造たまつくり二丁目

単に禰宜町ともいう。玉造門前たまつくりもんぜん町の南に延びる両側町で、西は吉右衛門肝煎地きちえもんきもいりちほか。「天保町鑑」に「玉造いなり前筋一丁南あんどうじ町筋北へ入」とある。明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図に「いなり禰き町」とみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では稲荷禰宜いなりねぎ町として屋敷数四七・役数五〇役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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