王寺村(読み)おうじむら

日本歴史地名大系 「王寺村」の解説

王寺村
おうじむら

[現在地名]王寺町王寺一―三丁目・舟戸ふなと一―三丁目・久度くど一―五丁目・ほん町一―五丁目・もと町一―三丁目・葛下かつしも一―四丁目・大字王寺付近

大和川南岸に立地。近世には葛下郡に属したが、広瀬郡平群へぐり郡との境界にあたる。慶長郷帳の村高一六〇一・七七石。うち三〇石は達磨だるま寺領、他は幕府領(代官大久保長安)。幕府領は元和五年(一六一九)郡山藩(松平忠明)領、延宝七年(一六七九)再び幕府領となり明治維新に至った。

延享二年(一七四五)の村明細帳控(谷家文書)によると文禄検地奉行は杉江甚兵衛。家数三一七、人数一千三一四、牛四〇、田反別一二一町三反五畝二七歩(うち両毛作四五町余)、一三〇一・二一一石、屋敷を含む畑反別四七町七反二畝一二歩、六六五・三一六石とみえ、農間稼として男は藤井ふじい村の問屋より駄賃取をするほか、縄・莚など藁加工、女は苧かせぎ・木綿作りに従事。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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