生路村(読み)いくじむら

日本歴史地名大系 「生路村」の解説

生路村
いくじむら

[現在地名]東浦町生路・石浜いしはま藤江ふじえ

東は知多湾入江を境して三河国、北と西は石浜村、南は藤江村に接する。「延喜式」に「生道いくぢ塩一斛六斗」とあって、塩の産地としてみえるのが初見。文和三年(一三五四)の熱田社領目録案(熱田神宮文書)に神領として「生道郷」とみえる。「寛文覚書」では概高四九一石余、田地二反二畝余、畑地一五町三反四畝余、家数六五、人数三五五。「徇行記」によれば、民家は東浦街道沿いにあり、産業として昔から生道塩の生産地で、六戸塩屋は名古屋や桑名くわな(現三重県)へ送った。ほかに砂糖も生産し、糞採舟三艘と六〇石積の波不知船一艘があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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