田中平八(読み)たなかへいはち

精選版 日本国語大辞典 「田中平八」の意味・読み・例文・類語

たなか‐へいはち【田中平八】

  1. 実業家信濃国長野県伊那生まれ。横浜で外国人相手の商売を営む一方、尊王派の水戸天狗党挙兵に参加、捕えられ入獄した。維新後、東京第百十二国立銀行、私立田中銀行を創業。東京兜町米商会所頭取。「天下の糸平」の異名で知られる。天保五~明治一七年(一八三四‐八四

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中平八」の解説

田中平八 たなか-へいはち

1834-1884 幕末-明治時代の実業家。
天保(てんぽう)5年7月11日生まれ。開港後の横浜で糸屋と称して生糸売り込み,洋銀売買などで活躍,「天下の糸平(いとへい)」として知られる。維新後は洋銀相場会所,田中銀行などを設立した。明治17年6月8日死去。51歳。信濃(しなの)(長野県)出身本姓藤島幼名は釜吉。名は政春。

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百科事典マイペディア 「田中平八」の意味・わかりやすい解説

田中平八【たなかへいはち】

幕末・明治の実業家。信州伊那出身。〈天下の糸平〉の通称で知られた。倒幕運動に加わって入牢。のち横浜での生糸投機で産を成し,維新後は東京兜町の米商会所頭取。米穀相場でも兜町の飛将軍とうたわれた。

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世界大百科事典(旧版)内の田中平八の言及

【相場師】より

…第2次大戦前の株式市場は投機的取引が中心となり,株屋といわれた株式仲買人の中には,相場師として活躍する人も多かった。東京株式取引所設立当時の怪物,天下の糸平こと田中平八は,その最初の大相場師といえる。また日露戦争前後に活躍した鈴木久五郎も相場師として有名である。…

※「田中平八」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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