日本大百科全書(ニッポニカ) 「田中恭吉」の意味・わかりやすい解説
田中恭吉
たなかきょうきち
(1892―1915)
版画家。和歌山市に生まれる。1911年(明治44)東京美術学校日本画科に入学し、翌年のフュウザン会第1回展には田中未知草(みちくさ)の名で水彩画『道化役者』を出品する。また恩地孝四郎(おんちこうしろう)、藤森静雄と親交を結び、14年(大正3)から翌年にかけて木版画と詩の同人誌『月映(つくはえ)』七巻を刊行、わが国創作版画の運動に大きく貢献したが、肺結核療養中の郷里で大正4年10月23日22歳で没し、同年12月東京・日比谷(ひびや)美術館で遺作展が開かれた。『病める夕』(木版画)、『心原幽趣』(ペン画連作)などに独特の世紀末的芸術を示す。
[小倉忠夫]
『田中恭吉著、澤田伊四郎編『太陽と花』(1983・龍星閣)』