田中親美(読み)たなかしんび

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田中親美」の意味・わかりやすい解説

田中親美
たなかしんび
(1875―1975)

日本美術研究家。京都の人。本名は茂太郎(しげたろう)。冷泉為恭(れいぜいためちか)の従弟田中有美(ゆうび)の長男。絵を父に、書を多田親愛(ただしんあい)に学んだ。親愛のもとで古筆模写に接し、1894年(明治27)初めて『紫式部日記絵巻』の模写に従事。以後、収集家吉田丹左衛門、益田孝(ますだたかし)(鈍翁(どんおう))らの後援を受け、大口周魚(しゅうぎょ)らの知遇を得て、『源氏物語絵巻』『本願寺本三十六人集』『元永(げんえい)本古今和歌集』『平家納経(へいけのうきょう)』『久能寺経(くのうじきょう)』の復元模写を完成させた。また古筆の名品を集めた『月影帖(つきかげじょう)』、手鑑(てかがみ)『ひぐらし帖』、さらに『佐竹(さたけ)本三十六歌仙』の刊行と、平安朝美術の復元・鑑識普及に努めた。1959年度(昭和34)芸術院恩賜(おんし)賞を受賞。昭和50年100歳で没した。

[島谷弘幸]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中親美」の解説

田中親美 たなか-しんび

1875-1975 明治-昭和時代の日本美術研究家。
明治8年4月9日生まれ。田中有美(ゆうび)の長男。絵を父に,書を多田親愛(しんあい)にまなぶ。「源氏物語絵巻」「平家納経」などおおくの古画,古筆を復元模写し,「月影帖」などの複製本を刊行。平安朝美術の研究とその普及につくす。昭和35年芸術院恩賜賞。昭和50年11月24日死去。100歳。京都出身。本名は茂太郎。

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世界大百科事典(旧版)内の田中親美の言及

【書】より

…これは華族や大名家に秘蔵の名品を実査し,和様書道の源流を極めんとするもので,小野鵞堂や後年西本願寺で《三十六人集》を発見した大口周魚(1864‐1920)もその会員であった。そして,平安時代の仮名の学問的研究と実技とを兼ね備えた尾上柴舟は,大口周魚に負うところがあり,田中親美による平安時代名跡の実査研究と復元的技術による複製制作は,和様書道の発展に寄与するところ多大であった。 現代の書道界は第2次世界大戦後の1948年第4回日展に初めて書道部門が加わり,漢字,仮名,篆刻など古来の伝統を踏まえて現代美術界の分野に新しく加入することとなった。…

※「田中親美」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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