田尻郷(読み)たじりごう

日本歴史地名大系 「田尻郷」の解説

田尻郷
たじりごう

現田尻付近に所在した中世の郷。観応二年(一三五一)九月八日の足利義詮御教書(天龍寺文書)に田尻郷とあり、足利義詮は駿河守護今川範国に対し細川元氏(のち清氏)地頭である当郷みなみ河原一色かわらいつしきに対する大草弥三郎以下の悪党濫妨を退け、下地を元氏に沙汰し付けるよう命じている。その後清氏の失脚により地頭職は没収されたらしく、康暦元年(一三七九)九月同地頭職が清氏の子正氏に還補され、永徳元年(一三八一)五月六日同地頭職は亡父追善のため正氏から京都天龍寺塔頭臨川りんせん寺に寄進され(「細川正氏寄進状」同文書)、同年七月二日将軍足利義満がこれを安堵している(「足利義満御判御教書」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報