田河庄(読み)たがわのしよう

日本歴史地名大系 「田河庄」の解説

田河庄
たがわのしよう

中野なかの(現虎姫町)伊部いべ丁野よおの河毛かわけ(現湖北町)の四郷を含み、現田川たがわを遺称地とする庄園。京都大覚寺領。ただし四郷のうち河毛郷はのちに山城醍醐寺三宝さんぽう院領となっており、延文二年(一三五七)六月一五日、三宝院賢俊が光済に河毛郷を譲った際の譲状(三宝院文書)には「為田河庄々内、雖大覚寺領、為顕円僧都跡、令拝領了」と、もと大覚寺領であったことが明記されている。応安四年(一三七一)一二月一五日付右衛門尉等連署渡状(下郷共済会蔵)には「教王常住院領近江国田河庄内中野郷事」とみえ、応永一二年(一四〇五)一〇月三日の幕府御教書(沙々貴神社文書)には「近江国田河庄内伊部郷同公文職事」を「大覚寺不壊化身院雑掌」に沙汰付くべきことが記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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