田高村(読み)たこうむら

日本歴史地名大系 「田高村」の解説

田高村
たこうむら

[現在地名]黒田庄町田高

石原いしはら村の北東に位置し、村の南東加古川南西流する。慶長国絵図に村名が記載される。慶長一九年(一六一四)検地では高一六〇石余、耕作者二三人、うち他村からの入作者一三人(延宝五年「検地帳」田高区有文書)正保郷帳では田方一三四石余・畑方二五石余、幕府領。文政三年(一八二〇)幕府領と三卿の一橋領の相給となり幕末に至る(「一橋家領知高帳」一橋徳川家文書など)。元禄郷帳では高二七八石余。天保郷帳でも同高。旧高旧領取調帳では幕府領高一七七石余・一橋領高一〇〇石余、ほかに春日社除地三斗余。天保三年(一八三二)伊兵衛ら七名は油絞株を許可され、他の六名(西安田村・森本村各一、中村町・鍛冶屋村各二)証文を取交わしている(「油株取締証文」田高区有文書)

田高村
たこうむら

[現在地名]名取市田高・増田ますだ四―九丁目

名取川の旧川筋の南西岸、標高八―九メートルの沖積平野にあり、西は吉田よしだ村、東は上余田かみよでん村、南は手倉田てくらだ村、北は柳生やなぎう(現仙台市)に接する。南北に奥州街道が通る。村名の由来は、周囲の平野部より若干高い地形をなすためと推定される。天文二二年(一五五三)集成の晴宗公采地下賜録によれば「たかうの内はなの木」が大橋左馬允に下されている。正保郷帳では田七六貫九三六文・畑一〇貫二四四文、ほかに新田一八貫九三二文とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android