由比本郷(読み)ゆいほんごう

日本歴史地名大系 「由比本郷」の解説

由比本郷
ゆいほんごう

中世の船木田ふなきた庄内の郷村。由比は由井・油井・湯井とも記される。「延喜式」に武蔵国の四牧の一としてみえる由比牧の故地で、現西寺方にしてらかた町・上壱分方かみいちぶかた町・弐分方にぶかた町・大楽寺だいらくじ町・四谷よつや町の一帯と推定される。建長八年(一二五六)七月三日の将軍家政所下文(尊経閣文庫所蔵「武家手鑑」上)によれば、天野景経に「船木田新庄由井内横河郷」などの所領を安堵している。この所領は永仁二年(一二九四)景経の子顕政に譲られた(同年九月二九日「関東下知状」尊経閣文庫所蔵文書)。やがてその子孫の顕茂・景広兄弟の間には由比本郷をめぐる争論が惹起し、正和二年(一三一三)五月幕府は両者の和与を承認、それによれば由比本郷のうち三分の一が弟景広に譲られ、三分の二が顕茂の所領となった(同年五月二日「関東下知状」同文書)。なおこの和与に伴う分割から壱分方・弐分方の呼称が生じ、現在の町名に連なる地名となっている。また文保元年(一三一七)六月七日の顕茂・景広兄弟とその姉妹尼是勝との和与を承認した関東下知状(天野文書)によれば、本来この由比本郷は武蔵七党の一つ西党に属した由比(由井)氏の所領であったが、彼らの母由比尼是心が天野氏に嫁したことから天野氏に伝領されるようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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