翻訳|pathology
病理学とは,文字どおり,生体を悩ます病気(ギリシア語のpathos)の理を論ずる(ギリシア語のlogia)学問である。すなわち,広義の病理学とは,生体に起こった病気の原因,成立ちを,いろいろな手段を用いて研究して,病態を分析し,病的変化の本質を解明して,病気の全貌を明らかにすることを目的とする学問である。また,このことを通じて,病気の治療と予防に貢献することが,生体から病気を取り除くことを究極の目的とする医学としての病理学の目的でもある。一方,狭義の病理学は,形態の変化から機能のひずみを推察し,病気の本態をとらえようとする病理形態学を指す(この立場を明確にするには形態病理学というべきである)。
一般に,狭義の病理学は,病理解剖学とも呼ばれているように,病死体の解剖をもって始まり,解剖を通じて病気の原因を追究する学問といわれてきた。病理解剖が,すなわち人体医学の研究そのものであった時代には,病理解剖学は広義の病理学でありえたが,病理学の歴史的発展の過程で,研究手段の進歩とともに,細菌学,生化学,免疫学などが分化し,独立の分野をつくっていき,病理学がしだいに形態の分野だけに限定されて狭義の病理学=病理形態学となったわけである。しかし,形の異常というものが直観的にとらえやすい対象であるため,現在においても,形態中心の研究方法を主とする病理形態学が,病気の座を判別し,病気の原因を明らかにするのに効果的な専門分野として,病理学の実体を担ってきている。臨床医学の進歩とともに病理形態学の比重が軽くなったといわれるが,臨床検査所見と形態所見との違いは消滅するものではありえず,これからの発展のためには,形態検査の重要性はむしろ大となったともいえる。さらに人体における病変の種類がきわめて多く,組織,臓器が多岐にわたることに加えて,電子顕微鏡による超微形態の観察をはじめ,免疫組織化学による病態解析など,検索手技も多様化したために,蓄積された知見の量は膨大なものとなっており,全臓器,全疾患の病変を,一人の病理学者が把握することはほとんど不可能となり,各臓器専門別の病理形態学者が要請される現状でもある。このような病理形態学の細分化は,形態学に基本的な指導原理を求めにくいため,記述中心にならざるをえない学問分野の宿命ともいえよう。しかし,病理学の究極の目的を達成するために,形態解析が主である病理学であっても,対象の細分化,分析の精緻化を展開する一方で,生体における病気という視点から,諸知見を総括統合する努力も払われ,広義の病理学の立場をも志向しているのである。医師にとって,剖検(患者の死後の全身解剖検査)はこの立場を認識させる場であろう。
一般に病理学は,医学においては基礎医学として位置づけられている。しかし,剖検,生検(手術によって取り出された組織材料などの検査)に際しては,臨床医の診察のときと同じように,患者の諸病歴,検査成績などが必要であることをみればわかるように,実地の病理学は,むしろ,臨床医学の一分野を担っているというべきである。現に,アメリカ医師会医師分類では,病院におけるpathologist(病理学者あるいは病理医)を,患者診療に直接たずさわる医師として扱っている。このような診療に関係をもつ病理形態学の領域は,とくに〈人体病理学〉と呼ばれ,その修練には,多大の年月を要する専門分野となっている。これに対して,人工的な条件設定をして,動物に人体にみられるような病変をつくって,その成立ちを調べたり,諸条件下における培養細胞の変化を調べたりする分野を〈実験病理学〉という。この分野においても,形態検査による研究がこれまでは主要であったが,生化学,免疫学,ウイルス学,分子遺伝学などの解析手段が積極的に取り入れられるようになったために,とくに実験の分野においては病理学=病理形態学という図式が,しだいにあてはまらなくなってきている。
実験研究の場では,従来の専門分野の枠が取り払われつつある一方,しばしば,病理形態検査が,病変成立の解析に用いられるよりもむしろ,病変の有無を確認するための検査法として用いられることがある。人体病理学においても,手術前あるいは生前の画像診断,臨床検査診断との対比,確認を形態上行う検査技術としての病理学が要求されている。病理学の任務は本来,病変の本態を明らかにすることにあるが,それに加えて,これらの要求に正しくこたえ,既知の病変の有無を確認し,さらに新しい問題点を提起することが,病理学者の責任である。
病理学には,人体病理学,病変のモデル解析を目指す実験病理学のほかに,研究対象にしたがって動物病理学,植物病理学があり,さらに種属間の反応の違いを調べる比較病理学,人種,地理による違いを疫学的に検討する地理病理学,形態の数量化を試みる計量的病理学,分子構造,遺伝子構造の異常にまで掘り下げようとする分子病理学などの分野がある。人体病理学のなかでも,手術で取り出された組織などの形態診断にたずさわる分野を外科病理学と呼んだり,医科大学における教育,研究としての病理学に対して,病院で行われる実務的な病理学を病院病理学という。また学問体系としての病理学には,生体の諸器官にあらわれる病的変化を逐一記載し,解析する病理学各論と,おのおのの器官系に起こった病変を,その性質や成立ちにしたがって分類し,統一的な概念でまとめ,病因に対する生体の反応様式に法則性を求めようとする病理学総論とがある。
病理学という言葉が使われたのは,16世紀半ばにJ.フェルネルの著した《医学Medicina》第2巻〈病理学Pathologia〉(1554)が最初とされるが,臨床症状と臓器の病変をつき合わせながら,病気の本態を探ろうとする医学的態度は,15世紀後半のベニビエニAntonio Benivieni(1443-1502)にさかのぼることができる。彼は100余人の患者について,生前の所見と病理解剖所見とを記載した《病気の隠れた不思議な原因について》を著し(1507),病理解剖学の父といわれる。それ以前は,ギリシア・ローマ時代の解剖学にもとづく,ヒッポクラテス,ガレノスのスコラ的医学が支配的であった。ルネサンスを迎えて,中世の束縛から解放されて解剖学が開花し,その蓄積をまって初めて病理学が展開されたのである。そして現代における病理解剖学を樹立したのは,18世紀のイタリア,パドバのG.B.モルガーニである。彼に至るまでフェルネル以降,病理学の展開にはみるべきものは少ないが,この間,医学の発展に貢献した学者には,解剖学のA.ベサリウス,顕微鏡家のM.マルピーギ,血液循環論のW.ハーベーらがいる。モルガーニは,晩年の80歳のころ,その学問の集大成《解剖によって明らかにされた病気の座および原因について》を著した(1761)。彼は,病気と症状を系統的に整理し,600余の症例をあげて,臨床所見と剖検所見とを綿密に対比し,単にその一致を確認して満足するだけにとどまらず,病気を解剖学的に把握しようとした。モルガーニには病理発生pathogenesisの観点が欠けることが批判されているが,病気に取り組む病理学者としての基本的態度は,以後200年間,引き継がれて現在に至っている。
病理学はそれ以後,イギリスのベーリーMatthew Baillie(1761-1823),J.ハンター,フランスのJ.N.コルビザール・デ・マレ,R.T.H.ラエネク,ドイツのJ.P.ミュラーらを経て,R.フィルヒョーの細胞病理学へと展開していく。フィルヒョーは,近代病理学の祖といわれるように,生命現象の最小単位が細胞であること,細胞の活動とその総和が個体をつくりあげていること,病気という生体の反応においても,その基盤を担うのは細胞の活動であることを述べ,旧来の液体病理学,固体病理学を否定した。
日本の病理解剖は,1869年(明治2)8月12日,東京大学医学部の前身である医学校で行われたものが最初とされている。以後,各地に設置された医学校で病理解剖が行われ,病理学講座が開講されていき,大学中心の病理学として発展してきたが,近年に至ってようやく病院にも病理学科がおかれるようになってきた。しかし,病理学の実践が,医療行為の一端を担うものであることは,まだ十分には認識されていない。日本病理学会は,1911年に設立されて以来70年を超える。また60年には日本における剖検症例を集計する試みが実行され,《剖検輯報》が刊行された。現在,1993年度の剖検症例約3万2000例を集録した第37輯(1996)が発行されており,世界に類をみない統計資料となっている。
執筆者:山口 和克
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
病気、疾病の科学(サイエンス)ともいわれ、疾病の原因、経過、結果などを含む疾病の本態を究明する学問をいう。
[渡辺 裕]
医学固有の専門学科目は、通常、基礎医学と臨床医学に大別されるが、病理学は、基礎医学、あるいは両者に深く関連を有する意味で用いられる臨床基礎医学とみなされ、重要な学問領域と考えられている。疾病とは、健康で正常な生活を営んでいる人が形態的、機能的、精神的な異常状態を示すことを意味しているわけであり、正常な構造を理解するために必要な解剖学、組織学、あるいは正常な機能を知るための生理学、生化学などの基礎医学の十分な習熟が病理学の学習にとって必要なものとなる。また、疾病の原因としての細菌、微生物、寄生虫などを詳細に究明する細菌学、微生物学、寄生虫学などは、本来、病理学から分岐して生じた基礎医学領域である。
病理学の歴史を考えることは、とりもなおさず疾病に対する考え方の変遷ということになる。すなわち、「狐憑(きつねつ)き」といった表現にみられるような妖魔(ようま)説、疾病は体液の混合調和の異常に起因するとした体液説など、数多くの宗教的、哲学的、科学的な考え方の移り変わりを経て、今日の病理学へと発展してきたわけである。近代病理学の基礎的体系の確立には、ルネサンス以降の人体の解剖による疾病の実態の把握が大きく貢献した。疾病の座を強調する臓器病理学、細胞の詳細な観察を主とする細胞学などの発展を経て、なかんずく、19世紀のドイツの病理学者ウィルヒョウの細胞病理学の樹立によって、臓器、組織、および細胞の構造あるいは形態的変化の追究を基盤とする病理解剖学が、病理学の主流として確固たる地位を築いたわけであり、医学の進歩に向けても主導的役割を果たしてきた。
しかしながら、疾病の診断および治療にあたっては、生体に現れる病的状態が疾病である以上、病的な形態は、当然、病的な機能との関連づけが必要であるとされ、病床における病理学という意味の臨床病理学の重要性が新たに認識されるようになっていく。すなわち、生化学、生理学、血液学、血清学、細菌学、寄生虫学などの臨床検査にかかわる領域の学問が、その中心となり、患者の血液、尿、組織などを体外に取り出して検査するばかりでなく、心電図、脳波、肝機能、腎(じん)機能など、患者そのものを対象として検査する方法もとられ、その内容はきわめて広範になってきた。このため、現在では、いずれの医療機関においても中央検査室などの施設の整備、充実を図る一方、臨床検査技師という医療職種が確立されるようになってきている。このように病理学の占める範囲はきわめて広大であり、医学のなかにおいて、一方では基礎医学に基盤を有し、他方では臨床医学のなかにあっても重要な座を占める学問領域となっている。また、病理学には、動物実験によって疾患のモデルを研究する実験病理学、動物の疾患を対象として比較研究する比較病理学なども含まれ、医学研究においても大きな重みをなしている。
[渡辺 裕]
疾患の本態とはなにかを考えてみた場合、疾患とは、生体の内外からの原因、すなわち刺激に対する細胞、組織、臓器、系統、個体全体といった、それぞれのレベルにおける反応と理解されるわけで、反応としては、刺激に対して抵抗するか、降参するか、または適応するかの基本的な形式が想像される。したがって、疾患のサイエンスである病理学は、各組織・臓器に共通しておこりうる同種の病変を、たとえば循環障害、退行性病変、進行性病変、炎症、腫瘍(しゅよう)などに分類して論ずる病理学総論と、それぞれの病変を循環器、呼吸器、消化器、泌尿器、生殖器、血液造血器、内分泌系、神経系、運動器、感覚器などの器官別・系統別に分類して論ずる病理学各論とに教科書的に分けられるのが常である。疾患の原因を研究する病因学、先天的に認められる病的状態を研究する奇形学も病理学の幅広い守備範囲とされているが、最近では、医学研究の進歩に対応して遺伝学、免疫学などは独立した分野とされる傾向にある。
病理学の基礎は病理解剖学すなわち病理解剖にあり、これは剖検autopsyとよばれるのに対して、生体組織、あるいは手術などによって摘出された組織に対する病理学的な検査は一般に生検biopsyといわれている。剖検は、疾病の診断、経過、治療の影響などの検索に医学的根拠を与えるもので、明日の医療に貢献することが大である。したがって、医学教育機関、医療機関における剖検率の程度は、それらにおける医学、医療の質的評価の一つとしてみなされている。これに対して生検は、組織学的観察を主とするもので、最近では、組織化学的ならびに電子顕微鏡による超微形態学的検索を併用して、病理学的診断のためにしばしば用いられている。たとえば腫瘍のような疾患の場合では、その本態についての診断の確定をするために、生検の組織学的診断が不可欠となっている。臨床的には、生検の一種として、体液および分泌液に含まれる各種の細胞を観察する方法も多用されており、一般に細胞診とよばれ、悪性腫瘍の診断に有力である。このような剖検、生検を重視する病理学は、医学研究上しばしば行われる動物実験における病理学的解析を主とする実験病理学に対して、人体病理学とよばれ、現代医療における病理学の位置づけをますます高めている。
[渡辺 裕]
『飯島宗一編『病理学各論』(1979・文光堂)』▽『影山圭三・林秀男編『病理学各論』(1982・医学書院)』▽『影山圭三編『病理学』(1982・医学書院)』▽『飯島宗一・石川栄世他編『現代病理学大系』(1983・中山書店)』
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