高分子化学者。東京生まれ。陸軍軍医の父に連れられ台北(たいほく/タイペイ)、旧満州で幼年時代を過ごし、小学校から高校までは母の故郷、岐阜県高山(たかやま)で過ごした。県立高山高等学校を経て1961年(昭和36)東京工業大学理工学部化学工学科卒業。1966年同大学大学院理工学研究科博士課程を修了し、工学博士。同大資源化学研究所の助手となった。1967年、ポリアセチレンの合成実験の際、触媒の量を間違えるミスで黒いフィルム(薄膜)ができた。これが導電性のプラスチックで、のちのノーベル賞受賞につながる大発見となった。白川のポリアセチレンの研究に注目したアメリカの有機化学者A・マクダイアミッドの招きで、1976年ペンシルベニア大学研究員となり、アメリカの固体物理学者A・ヒーガーを加え3人での共同研究が始まり、1977年にポリアセチレンを使って高い導電性をもったプラスチックの開発に成功した。1979年筑波(つくば)大学助教授となり1982年同大教授。1983年に「ポリアセチレンに関する研究」で高分子学会賞受賞。2000年(平成12)3月に筑波大を定年退官し、名誉教授となる。同年10月、「導電性ポリマーの発見と開発」でヒーガー、マクダイアミッドとともにノーベル化学賞を受賞した。同年文化功労者となり、さらに文化勲章を受章。2001年学士院会員となった。
[編集部]
『白川英樹著『私の歩んだ道――ノーベル化学賞の発想』(2001・朝日選書)』▽『白川英樹著『化学に魅せられて』(岩波新書)』
日本の高分子科学者.東京に生まれ,高山で育つ.1957年東京工業大学へ入学し,1966年博士号を取得後,東京工業大学の助手になる.1979年筑波大学へ助教授として移り,1982年同大学教授となる.学生時代から高分子合成に興味を抱き,チーグラー-ナッタ触媒を用いたポリアセチレン合成の機構を研究していたが,1967年通常の1000倍量の触媒を加える失敗から,偶然に銀色のポリアセチレン膜を得る.客員教授として日本滞在中だったA.G. MacDiarmid(マクダイアミッド)はポリアセチレンフィルムに注目し,帰国後,かれをアメリカに招へいしてA.J. Heeger(ヒーガー)とともに共同研究を行った.1976年臭素をドーピングするとポリアセチレン膜の電気伝導性が1000万倍向上することを発見し,電気伝導性高分子物質をはじめて得ることに成功し,2000年Heeger,MacDiarmidらとともにノーベル化学賞を受賞した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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