白瀬野(読み)しらせの

世界大百科事典(旧版)内の白瀬野の言及

【藤原[町]】より

…江戸時代は桑名藩領。員弁川西岸の白瀬野(しらせの)は開発されて1812年(文化9)志礼石新田となった。米作のほか畜産,シイタケ栽培が行われるが,藤原岳周辺の豊富な石灰石により1919年にはカルシウム工場(1974年閉鎖),32年にはセメント工場が進出,主要産業となっている。…

※「白瀬野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」