百塚(読み)ひやくづか

日本歴史地名大系 「百塚」の解説

百塚
ひやくづか

[現在地名]小千谷市三仏生

三仏生さぶしよう集落の西側に一列をなしている塚。旧名大隊だいたい道路という道の東側に並立し、長さ約一キロにわたり、現在一三九基が確認される。かつては一五〇基以上あったと考えられているが、その数を数えると死ぬという禁忌があり、正確な数は伝わっていない。直径四―五メートル、高さ一二〇センチ程度であるが、最高一六〇センチのものもある。一、二基発掘した塚もあったが、出土品は報告されていない。

百塚
ひやくづか

[現在地名]六日町上原・下原

上原かみはらと下原の境の字寺裏てらうらにある一連の塚群。上原地内には直径三メートルから六メートル、高さ一メートルから一・二メートルの塚四基、つぶされた近くの塚から鎧らしい鉄片を発掘。永正七年(一五一〇)長森原ながもりはら合戦戦死者を埋葬したものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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