益頭庄(読み)ましずのしよう

日本歴史地名大系 「益頭庄」の解説

益頭庄
ましずのしよう

現在の藤枝市南東部から焼津市中央部に及ぶ地域に比定される庄園。「吾妻鏡」文治三年(一一八七)一〇月三日条所載の同年九月二〇日の後白河上皇院宣に「円勝寺領駿河国益頭庄」とあり、当庄は平家没官領ではなく故信業朝臣の知行していたもので、先に一条能保に命じたが、能保は辞退しているという。当庄の成立については、「長秋記」大治五年(一一三〇)一一月二二日条によると、同書の記主源師時が待賢門院のもとに参上した時、女院女房から駿河国に庄園を立てたが、志太しだ山は国司の申請により除外したことを伝えられている。庄園名は書かれていないが、待賢門院にかかわる庄園は円勝えんしよう(現京都市左京区)領で、駿河国といえば益頭庄のことであろう。「吾妻鏡」文治四年六月四日条所引の藤原経房家司定長奉書によれば、先に当庄知行を辞退していた一条能保がこれを受託しており、地頭は北条時政であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android