目賀田種太郎(読み)めがたたねたろう

改訂新版 世界大百科事典 「目賀田種太郎」の意味・わかりやすい解説

目賀田種太郎 (めがたたねたろう)
生没年:1853-1926(嘉永6-昭和1)

明治時代の大蔵官僚,韓国財政顧問。江戸生れ。18歳から8年間,アメリカに留学したのち,文部省官吏,代言人,判事をへて1883年大蔵省に任官。日清戦争勃発時に同省主税局長となり,地租増徴などの増税,沖縄土地整理,地価修正,関税改正などの事業にたずさわり,戦費調達と軍拡基調の日清戦後経営を税制面から支えた。日露戦争勃発の1904年,第1次日韓協約にもとづく韓国財政顧問設置にともない同局長から同顧問に転じ,07年の第3次日韓協約による韓国保護国化までの3年間のうちに,日本軍を背景とする強力かつ急激な幣制・財政改革を断行して植民地的経済基盤を一挙につくりあげた(朝鮮貨幣整理事業)。第一銀行を韓国中央銀行とし,日本の貨幣を流通させて韓国を日本の貨幣勢力圏に組み込む一方,韓国皇室財政の縮小と地方官吏の徴税機構からの排除などによって李朝支配体制を弱体化させ,植民地統治財源としての新税賦課,土地調査の準備などを進めた。顧問をやめた後は,貴族院議員枢密顧問官として活躍した。専修学校(現,専修大学)の創設者でもある。
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20世紀日本人名事典 「目賀田種太郎」の解説

目賀田 種太郎
メガタ タネタロウ

明治・大正期の財政家,男爵 枢密顧問官;大蔵省主税局長;貴院議員(勅選)。



生年
嘉永6年7月21日(1853年)

没年
大正15(1926)年9月10日

出生地
江戸・本所太平町

学歴〔年〕
大学南校,ハーバード大学法学部〔明治7年〕卒

経歴
昌平黌、大学南校に学び、明治3年米国留学を命ぜられ、ハーバード大学法学部に学ぶ。7年帰国後文部省に出任、8年に官吏として再び渡米。以後司法省を経て、16年大蔵省に入り、少書記官、主税官、参事官を経て、24年横浜税関長、27年主税局長となり、日清・日露戦争時の国家財政を支える。税務監督局を創設し税官吏の養成を図る一方、関税自主権についての条約改正にも尽力した。37年韓国財政顧問に就任、43年に財政監査長官に進んだ。この間、37年〜大正12年勅選貴院議員。40年男爵。大正12〜15年枢密顧問官。一方、法律家としては明治12年横浜米国領事裁判所代言人、のち東京代言人組合会長、14年横浜裁判所判事などを務めた。専修大学の前身、専修学校の創設者としても知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「目賀田種太郎」の解説

目賀田 種太郎
メガタ タネタロウ


肩書
枢密顧問官

生年月日
嘉永6年7月(1853年)

出身地
江戸

経歴
昌平黌に学び、明治3年米国留学を命ぜられる。帰国後文部省に出任、8年に官吏として再び渡米。以後司法省を経て、大蔵省少書記官となる。27年主税局長となり、日清、日露戦争時の経済を支える。税務監督局を創設し税官吏の養成を図る一方、関税自主権についての条約改正にも尽力した。37年8月貴院議員に勅選、同年10月韓国財政顧問に就任、40年に財政監査長官に進んだ。同年男爵を授けられ、大正12〜15年枢密顧問官。専修大学の前身、専修学校の創設者として知られる。

没年月日
大正15年9月10日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「目賀田種太郎」の解説

目賀田種太郎

没年:大正15.9.10(1926)
生年:嘉永6.7.21(1853.8.25)
明治大正期の大蔵官僚。旗本目賀田幸助の長男。明治3(1870)年大学南校入学,半年後にアメリカに留学,7年ハーバード大学法学部卒業。帰国後,横浜米国領事裁判所代言人など法律家として活動し,14年横浜裁判所判事。16年大蔵省に入り,24年横浜税関長,27年主税局長。以後10年間にわたり税収の増加と近代的税制の整備に努め,日清戦争(1894~95)後急膨張する国家財政を租税面から支えた。1904年から1910年まで韓国財政顧問,同財政監査長官を務め,韓国の財政金融制度の改革を指導した。明治37年勅選貴族院議員。40年男爵。大正12(1923)年枢密顧問官。<参考文献>松木重威『男爵目賀田種太郎』

(小風秀雅)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「目賀田種太郎」の解説

目賀田種太郎 めがた-たねたろう

1853-1926 明治-大正時代の官僚。
嘉永(かえい)6年7月21日生まれ。文部省,司法省をへて明治16年大蔵省にはいる。27年主税局長となり,日清戦争後の税制整備にあたる。37年韓国政府財政顧問に転じ,朝鮮貨幣の整理など,財政金融制度の再編をすすめた。貴族院議員,枢密顧問官。大正15年9月10日死去。74歳。江戸出身。ハーバード大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「目賀田種太郎」の解説

目賀田 種太郎 (めがた たねたろう)

生年月日:1853年7月21日
明治時代;大正時代の官僚。貴族院議員;大蔵省主税局長
1926年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の目賀田種太郎の言及

【朝鮮貨幣整理事業】より

…1904年の第1次日韓協約にもとづき目賀田種太郎韓国財政顧問が行った新貨幣発行・旧貨幣回収事業。目賀田は典圜(てんえん)局閉鎖によって朝鮮独自の貨幣発行を禁ずる一方,日本の第一銀行韓国支店に中央銀行的役割を担わせ,国庫,発券業務を担当させた。…

※「目賀田種太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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