日本歴史地名大系 「相打村」の解説
相打村
あいうちむら
天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「鮎内川」とある。津軽知行高之帳に相打村、「津軽歴代記類」の貞享三年(一六八六)に相内、同四年の検地帳には相打村とあり、そのほかの史料にも内と打は混同して使用されている。村名は「人が多い沢」という意味のアイヌ語に由来するとする説もあるが確かでない。安東氏が相内集落の東、十三湖を南に望む台地上の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「鮎内川」とある。津軽知行高之帳に相打村、「津軽歴代記類」の貞享三年(一六八六)に相内、同四年の検地帳には相打村とあり、そのほかの史料にも内と打は混同して使用されている。村名は「人が多い沢」という意味のアイヌ語に由来するとする説もあるが確かでない。安東氏が相内集落の東、十三湖を南に望む台地上の
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