真光寺跡(読み)しんこうじあと

日本歴史地名大系 「真光寺跡」の解説

真光寺跡
しんこうじあと

[現在地名]豊科町大字高家 真々部

町村まちむらの真々部氏館跡の南に位置し、大門は西方上町にある。曹洞宗、住吉山、本尊釈迦如来。上野国長年寺末。開山養室紹舜、開基真々部尾張守(信府統記)

元亀元年(一五七〇)一〇月一日、紹舜は甲州永昌院大奕・竜安寺明公・佐久郡竜雲寺全祝らとともに分国内曹洞宗諸事参学規式の新法度をつくっている(永昌院文書)


真光寺跡
しんこうじあと

[現在地名]佐和田町真光寺

石田いしだ川の谷奥の右岸低地にある。「佐渡志」によれば、山城国醍醐山光台院末で、山号は金北山と号し、金北山きんぽくさん権現別当をつとめ、里宮が置かれる。弘仁二年(八一一)の開基と伝える。本尊阿弥陀如来は焼失。「佐渡国寺社境内案内帳」では、門徒寺二七ヵ寺。上杉氏の佐渡支配以後、醍醐派の教団編成の拠点として重きをなしたとみられる。「佐渡志」では除地田・畑屋敷三〇町九反余に及び、除米は真光寺村の一円、二宮にくう村の半分(二宮大明神の社除か)新保しんぼ(現金井町)の三分一(金北山権現社領か)を収納する。


真光寺跡
しんこうじあと

[現在地名]清水町片山

かた(一二〇メートル)山頂にある竜王りゆうおう神社西麓の参道下にあったとされる寺。現存しない。文安二年(一四四五)八月七日の越前国真光寺東寺修造料足奉加人数注進状(東寺百合文書)裏書に「方山真光寺」とみえる。「越前国城蹟考」には「屋敷跡 朝倉家真光寺、信長時代増井甚内之助、片山村朶村真光寺村之内ニ五町ニ二町計之所」と記され、城館にも利用されたらしい。


真光寺跡
しんこうじあと

[現在地名]河内町小田

小田おだの中央部、小田川の北にあり、興雲山と号した。「芸藩通志」の段階では寺院の項に記されるが、後に廃寺となり、敷地は現在小田小学校になっている。永正一三年(一五一六)小早川家人小田管領兵部大夫真光が小田小早川氏の菩提寺として建立したと伝え、僧友之益を開山とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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