矢橋 賢吉(読み)ヤバシ ケンキチ

20世紀日本人名事典 「矢橋 賢吉」の解説

矢橋 賢吉
ヤバシ ケンキチ

明治・大正期の官吏 大蔵省営繕管財局工務部長。



生年
明治2年9月20日(1869年)

没年
昭和2(1927)年5月24日

出生地
美濃国不破郡赤坂(岐阜県)

学歴〔年〕
帝国大学工科大学造家学科〔明治27年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔大正6年〕

経歴
明治29年臨時葉煙草取扱所建築部技師となり、臨時税関工事部技師、大蔵省技師兼専売局技師、臨時議院建築局工営部長などを経て、大蔵省営繕管財局工務部長となる。この間、米国博覧会賛同準備委員、東京勧業博覧会審査官などを務め、国会議事堂建設にも参画する。また欧米各国に派遣され、大正8年工学博士となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢橋 賢吉」の解説

矢橋賢吉 やばし-けんきち

1869-1927 明治-大正時代の官吏。
明治2年9月20日生まれ。内務省,大蔵省の技師をへて,大蔵省営繕管財局工務部長となる。この間東京勧業博覧会審査官などをつとめ,国会議事堂の建設に参画した。昭和2年5月24日死去。59歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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