矢部定謙(読み)やべさだのり

改訂新版 世界大百科事典 「矢部定謙」の意味・わかりやすい解説

矢部定謙 (やべさだのり)
生没年:1794-1842(寛政6-天保13)

江戸後期の旗本。左近将監,駿河守。堺奉行を経て1833年(天保4)大坂町奉行となり,天保の飢饉にさいして元与力大塩平八郎の意見をいれ,米価を調節し窮民の救済に当たり功績を挙げた。その後,庄内藩長岡藩川越藩三方領知替の際には庄内領民の反対運動を取り上げて再審の上書を提出した。勘定奉行などを経て41年江戸南町奉行となるが,目付鳥居耀蔵(ようぞう)の暗躍により同年末失脚し,翌年矢部家は断絶身柄は桑名藩預けとなったが,この処置に怒った定謙は食を断って憤死した。
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関連語 大口

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢部定謙」の解説

矢部定謙 やべ-さだのり

1789-1842 江戸時代後期の武士
寛政元年生まれ。幕臣。天保(てんぽう)4年大坂西町奉行。天保の飢饉(ききん)に大塩平八郎の助言をえて窮民を救済するが,のち大塩から「奸佞(かんねい)」と告発された。12年江戸南町奉行となるが,老中水野忠邦と対立し8ヵ月で罷免された。処分を不服として断食し,天保13年7月24日死去。54歳。通称は彦五郎。駿河守(するがのかみ)。

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