日本大百科全書(ニッポニカ) 「矢野恒太」の意味・わかりやすい解説
矢野恒太
やのつねた
(1866―1951)
大正・昭和前期の実業家。相互会社による生命保険の先駆者。岡山県出身。第三高等中学校(岡山大学の前身)医学部卒業後、保険医を経て共済生命保険の支配人となり、ドイツに留学して、生命保険業は相互会社として経営さるべきものとの信念をもつ。帰国後、農商務省に入り、保険業法の制定(1900)に尽力し、退官して自ら1902年(明治35)第一生命保険相互会社を創立、専務取締役となる。のち1915年(大正4)社長。同社の成功によって相互会社による生命保険の長所が立証された。『論語』による経営理念の普及、結核の予防、郊外住宅地(田園調布)の開発などにも貢献した。また、著作も多く、中でも統計データブック『日本国勢図会(ずえ)』(1927)はその後も財団法人矢野恒太記念会によって刊行が続けられている。
[由井常彦]