石井研堂(読み)イシイ ケンドウ

20世紀日本人名事典 「石井研堂」の解説

石井 研堂
イシイ ケンドウ

明治・大正期の編集者,明治文化研究家



生年
慶応1年6月23日(1865年)

没年
昭和18(1943)年12月6日

出生地
陸奥郡山(福島県郡山市)

本名
石井 民司(イシイ タミジ)

学歴〔年〕
郡山小卒

経歴
明治18年上京し、岡千仭塾に入る。病気で一時は帰郷するが、21年再度上京して「貴女之友」の編集を手伝い、22年「小国民」(のち「少国民」)の中心編集者となり、さらに「今世少年」「実業少年」などにも関係し、児童文学発展に力を尽くした。この間、22〜24年東京府有馬尋常小学校訓導。一方、明治文化研究に力をそそぎ、41年「明治事物起原」を刊行した。少年読物も多く「中浜万次郎」「鯨幾太郎」「日本漂流譚」などの他、「自助的人物典型 中村正直伝」や少年向き科学書など、著書、編著は数多い。また明治文化研究会の発展に力を尽くし、「明治文化全集」の編纂にも当たり、錦絵の蒐集・研究もした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「石井研堂」の意味・わかりやすい解説

石井研堂 (いしいけんどう)
生没年:1865-1943(慶応1-昭和18)

少年雑誌や児童文学の編集者,執筆者で,明治文化史の研究家。岩代国郡山生れ。本名民司。福島県で小学校訓導となった後,1886年東京府小学高等科教員検定試験に合格。89年《小国民》(のち《少国民》)創刊に際しその編集を担当し,97年までその任に当たる。《小国民》は歴史読物などを多く含んだ少年雑誌で,研堂自身も無署名で執筆し,挿絵や印刷にも工夫がこらされていた。研堂はその後他の少年雑誌の編集にも関与し,《自助的人物典型 中村正直伝》(1907)など少年向けの伝記や《少年工芸文庫》など科学書の執筆・編集でも活躍。幸田露伴や巌谷小波らと交流があった。1908年文化史・技術史研究を総合した《明治事物起源》を執筆(のち増補改訂)し,24年尾佐竹猛吉野作造らと明治文化研究会をつくり《明治文化全集》の編纂に尽力,また錦絵や昔話,漂流譚など失われつつある文物採集にもとりくんだ。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「石井研堂」の解説

石井研堂

没年:昭和18.12.6(1943)
生年:慶応1.6.23(1865.8.14)
明治・大正・昭和期の在野の文化史家。本名民司。奥州二本松藩領郡山村(福島県郡山市)生まれ。郡山小学校を卒業後,同校教員などを務めたのち上京,明治22(1889)年雑誌『小国民』(のち『少国民』)の編集者となる。当時数多くあった少年雑誌のうちで,同誌が「雑誌界之大王」を標榜するほどの人気雑誌となったのは,近代日本のエリートコースを進まなかった研堂が,かつての自分のような境遇にある独学少年たちの希望にかなった雑誌作りをしたからであろう。そういうセンスは同34年から同37年にかけて刊行された単行本シリーズ『理科十二ケ月』や『少年工芸文庫』にも通底している。その著『明治事物起原』(1908刊,44年改訂増補版)は,明治文化を知る百科事典といえる。吉野作造らの明治文化研究会に属し,明治文化全集の編集にも当たった。<参考文献>山下恒夫『石井研堂』

(坪内祐三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「石井研堂」の意味・わかりやすい解説

石井研堂
いしいけんどう
(1865―1943)

編集者、明治文化研究家。岩代(いわしろ)国(福島県)郡山(こおりやま)に生まれる。本名民司。1885年(明治18)上京し、岡千仭(せんじん)の漢学塾に入る。やがて児童雑誌『少国民』の編集に腕を振るい、また『理科十二ヶ月』12冊など少年向きの科学書も刊行した。一方、漂流奇談の編纂(へんさん)や『中村正直(まさなお)伝』の刊行など、多方面の活動をする。とくに1908年(明治41)刊行の『明治事物起原』(1969年再刊)は明治文化の総覧的基礎文献であり、以後二度にわたり増補される。その間吉野作造らと明治文化研究会を創設、『明治文化全集』を編纂するなど、明治文化研究に尽力した。また錦絵(にしきえ)や古銭の研究家としても知られ、『釣師気質(かたぎ)』の著もある。

[大屋幸世]

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百科事典マイペディア 「石井研堂」の意味・わかりやすい解説

石井研堂【いしいけんどう】

少年雑誌などの編集者・執筆者。福島県郡山の出身。明治期には《小国民》(のち《少国民》)の編集にあたり,みずからも執筆。1908年《明治事物起源》を書く。1924年以後尾佐竹猛らと明治文化研究会を興し《明治文化全集》の企画編集に当たる。《校訂漂流奇談全集》(1900年刊),《異国漂流奇譚集》(1927年刊)の編者としても有名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石井研堂」の解説

石井研堂 いしい-けんどう

1865-1943 明治-昭和時代前期の明治文化研究家。
慶応元年6月23日生まれ。明治22年から「小国民」など児童誌の編集に従事,かたわら少年向けの科学書などを執筆。41年「明治事物起源」を完成。吉野作造,尾佐竹猛(おさたけ-たけき)らと明治文化研究会を設立。錦絵の研究でも知られた。昭和18年12月6日死去。79歳。陸奥(むつ)郡山(こおりやま)(福島県)出身。本名は民司(たみじ)。

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367日誕生日大事典 「石井研堂」の解説

石井 研堂 (いしい けんどう)

生年月日:1865年6月23日
明治時代;大正時代の明治文化研究家;ジャーナリスト
1943年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の石井研堂の言及

【小国民】より

…修身,歴史,文芸,娯楽などの平易な記事と挿絵で小学生の読者を獲得した。編集には石井研堂があたり,最盛期には1万5000部を発行したが,95年9月号で発行停止処分をうけ,廃刊した。その後,《少国民》と改題・復刊したが続かず,97年1月から編集・発行とも北隆館に移り,まったく別の内容の雑誌となった。…

【釣り】より

… 明治時代に入るとはでな釣りは姿を消すが,ますます一般化し大衆のものとなっていった。石井研堂《釣師気質》(1906)は当時の釣りブームを物語っている。そして昭和時代には松崎明治《釣技百科》(1942)という,日本でははじめての釣入門百科が登場する。…

※「石井研堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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