石堂清倫(読み)イシドウ キヨトモ

20世紀日本人名事典 「石堂清倫」の解説

石堂 清倫
イシドウ キヨトモ

昭和・平成期の評論家



生年
明治37(1904)年4月5日

没年
平成13(2001)年9月1日

出生地
石川県石川郡松任町(現・松任市)

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部英文学科〔昭和2年〕卒

経歴
農学校教師の次男として生まれる。四高時代にマルクス主義に触れ、東大在学中は新人会に参加。昭和2年卒業後、関東電気労組、無産者新聞などで活躍、同年12月共産党入党。3年“3.15事件”で検挙され、懲役2年、執行猶予3年の刑を受ける。9年日本評論社に入社、編集者として「資料論」などの翻訳を行う。13年満鉄調査部に入社。18年に第2次満鉄事件で再検挙され、ハルビン敗戦を迎える。戦後の24年帰国、共産党に再入党。マルクス・レーニン主義研究所員となり、「アカハタ」編集委員を経て、東京都委員に。34年に佐藤昇らと「現代の理論」を創刊し、構造改革論を展開し、党中央と対立。36年に離党以後共産主義労働者党の結成に参画するなど、社会主義再生の道を探る。52年には荒畑寒村らと運動史研究会を結成し、「運動史研究」(全17巻)を刊行。また、翻訳を中心とした著述活動を続ける。イタリア共産党の構造改革論、グラムシトリアッチ紹介、日本革命運動史研究が業績としてあげられる。著書に「現代革命と反独占闘争」「現代変革の理論」「わが異端の昭和史」「中野重治と社会主義」、訳書に「共産主義とは何か」「スターリンスターリン主義」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石堂清倫」の解説

石堂清倫 いしどう-きよとも

1904-2001 昭和時代の社会運動家。
明治37年4月5日生まれ。東京帝大在学中は新人会で活動。昭和2年共産党に入党,翌年の三・一五事件で検挙される。18年第2次満鉄事件で入獄。戦後再入党し,「レーニン全集」などの翻訳に従事。構造改革論を主張して36年除名された。のち共産主義労働者党の結成に参加。イタリア共産党の構造改革論やトリアッティなどの紹介で知られる。平成13年9月1日死去。97歳。石川県出身。著作に「現代革命と反独占闘争」など。

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367日誕生日大事典 「石堂清倫」の解説

石堂 清倫 (いしどう きよとも)

生年月日:1904年4月5日
昭和時代の評論家
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報