歌人、詩人。本名一(はじめ)。明治19年2月20日、岩手県南岩手郡日戸(ひのと)村(現、盛岡(もりおか)市玉山(たまやま))に生まれる。父はこの村の曹洞(そうとう)宗常光寺住職石川一禎(いってい)。母カツは一禎の師僧葛原(かつらはら)対月の妹。1887年(明治20)の春一禎は北岩手郡渋民(しぶたみ)村(現、盛岡市渋民)宝徳寺の住職になったので一家はこの村に移った。啄木が生涯「ふるさと」とよんで懐かしがったのはこの渋民村で、現在石川啄木記念館がある。
啄木は岩手郡渋民尋常小学校を卒業後、盛岡高等小学校に進み、1898年4月13歳のとき、128名中10番の好成績で岩手県盛岡尋常中学校に入学した。しかし上級学年に進むにつれて文学と恋愛に熱中して学業を怠り、4年生の学年末と5年生の1学期の試験にカンニング事件を起こし、これが原因となって盛岡中学校を退学した。やむなく彼は文学をもって身をたてるという美名のもとに1902年(明治35)の秋上京、新運命を開こうとするが失敗、年末、神田の日本力行会(りっこうかい)に勤務する友人の奔走で、金港堂の雑誌『文芸界』の主筆佐々醒雪(さっさせいせつ)を頼って雑誌の編集員として就職を希望するが実現せず、翌1903年2月帰郷して故郷の禅房に病苦と敗残の身を養った。
1902年の夏、アメリカの海の詩集『Surf and Wave』の影響を受けて詩作に志した啄木は、その後与謝野鉄幹(よさのてっかん)(寛(ひろし))の知遇を得て東京新詩社の同人となって『明星』誌上で活躍、1905年5月には東京の小田島書房より処女詩集『あこがれ』を刊行、明星派の詩人としてその前途が嘱望された。しかし前年の暮れ、啄木の父が宗費滞納を理由に曹洞宗宗務局より宝徳寺の住職を罷免されたので、一家はこの年の春盛岡に移り、啄木はやがて堀合節子(1886―1913)と結婚して一家扶養の責任を負うことになる。まもなく生活に行き詰まったため1906年の春渋民村に帰り、母校の代用教員となった。彼は勤務のかたわら再起を図るため小説家を志し、『雲は天才である』『面影』『葬列(そうれつ)』を書き、また曹洞宗宗憲の発布で特赦となった一禎の宝徳寺復帰に努力した。しかし1年後、小説にも父の再住にも失敗して故郷を去り、北海道に移住するのである。
「石をもて追はるるごとく/ふるさとを出でしかなしみ/消ゆる時なし」
1908年(明治41)の晩春、北海道より上京した啄木は創作生活に没頭、上京後1か月余に『菊池君』『病院の窓』『母』『天鵞絨(ビロード)』『二筋の血』など五つの作品300余枚の原稿を書き、その小説の売り込みに奔走したが失敗、ために収入なく生活は困窮した。1909年の春彼を窮地から救い東京朝日新聞社の校正係に採用したのは、盛岡出身の同社編集部長佐藤北江(ほっこう)(真一)で、啄木はようやく定職を得て、東京・本郷区弓町二丁目(現、文京区本郷)の喜之床(きのとこ)(新井(あらい)こう)の2階に家族を迎えて新生活を始めることができた。1910年9月社会部長渋川柳次郎の厚意で「朝日歌壇」の選者となり、この年の暮れ処女歌集『一握(いちあく)の砂』を刊行。その特異な三行書きの表記法と、「生活を歌う」主題の新鮮さは歌壇内外の注目を浴び、第一線歌人としての地位を確立した。またこの年6月の大逆事件に衝撃を受けて社会主義思想に接近、幸徳秋水やロシアの思想家クロポトキンの著作を愛読して、未来のソシアリスティックな日本を思い描いたが、東京時代につくられた歌集『一握の砂』『悲しき玩具(がんぐ)』、詩集『呼子(よぶこ)と口笛』、評論『時代閉塞(へいそく)の現状』などの代表作は、そうした晩年の思想や生活のなかから生まれたもので、天才啄木の名を不朽のものとした。明治45年4月13日、小石川区久堅(ひさかた)町74番地(現、文京区小石川5-11-7)の借家で肺結核で死んだ。享年27歳。文字どおり薄幸にして流亡の生涯であった。
[岩城之徳 2017年1月19日]
呼吸(いき)すれば、/胸の中(うち)にて鳴る音あり。/凩(こがらし)よりもさびしきその音!
『『石川啄木全集』全8巻(1978~1980・筑摩書房)』▽『岩城之徳著「啄木歌集全歌評釈」(『別冊国文学 石川啄木必携』所収・1981・学燈社)』▽『今井泰子著『石川啄木論』(1974・塙書房)』▽『岩城之徳著『啄木評伝』(1976・学燈社)』▽『沢地久枝著『石川節子・愛の永遠を信じたく候』(1981・講談社)』
明治期の歌人,詩人,評論家。岩手県生れ。本名一(はじめ)。北岩手郡渋民村の宝徳寺に育った。県立盛岡中学中退。在学中に《明星》系の浪漫主義文学に触れて詩人を志し,1905年,愛の至上性を歌う詩集《あこがれ》を刊行し,天才少年詩人の名をはせた。しかし同じころ結婚し,また父が失職して生活難に直面させられ,詩情に衰えをきたし,小説に筆を転じた。07年に北海道に渡り各地を流転したが,翌年には単身上京し創作に専念しようとした。結局,小説は成功しなかったが,この時期の苦闘を綴る09年春の《ローマ字日記》が,自然主義的私小説以上の鋭い自己凝視をみせている。その年秋,家庭に対する啄木の無配慮にたえかねて妻が家出した。その衝撃から生活を人生の第一義と考えるようになり,その立場による評論や短歌を制作していった。続いて起こった大逆事件を契機に,貧しい生活の出口を社会主義に求め,《時代閉塞の現状》(1913刊)等を書いて尖鋭な社会批判を示す一方,短歌をば,現実を改変できない者の悲しい代償行為とみなすにいたった。《一握の砂》(1910)と《悲しき玩具》(1912)にまとめられたその短歌は,冷笑的諧謔性や深い哀傷感をもって日常の感情を率直に歌い,歌壇に画期の新風を呼んだ。11年,慢性腹膜炎と診断され,ついで妻も母も罹病。時代の悪化もあって絶望を深めつつも,なお遺稿の文語自由詩《呼子と口笛》に現実飛翔の夢を歌いあげ,12年4月,貧窮の底で死んだ。〈東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる〉(《一握の砂》)。
執筆者:今井 泰子
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明治期の歌人,詩人,小説家
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1886.2.20~1912.4.13
明治期の歌人・詩人。本名一(はじめ)。岩手県出身。誕生翌年より渋民村(現,盛岡市)で育つ。1902年(明治35)盛岡中学を退学し上京,与謝野寛(鉄幹)の知遇をえて「明星」ほかに詩を発表。05年詩集「あこがれ」を出版。生活のため渋民村の小学校代用教員となり,以後,地方紙の記者として北海道各地を転々とする。再び上京して小説家を志すが失敗。失意の思いを短歌に表し「一握の砂」(1910)を書く。09年生活に根ざす文学を唱えて評論「食ふべき詩」を発表。翌年大逆事件の報道に衝撃をうけて社会主義に関心をもち,自然主義文学批判の評論「時代閉塞の現状」を書く。詩風も変化し,11年には「果てしなき議論の後」ほかを創作。肺結核で死亡後,歌集「悲しき玩具」が刊行された。「石川啄木全集」全8巻。
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[新教育運動と学校]
20世紀初頭には,社会民主党がその宣言(1901)で,平等の教育のため国家が教育の全費用を負担すべきことをかかげ,また教育の内容についてはその画一的なあり方への反対の声をあげる者があらわれ始めた。代用教員石川啄木もその一人であり,画一的・形式的教育に強く反発し,詩人が教師となることの意味を力説し,個性的な実践にとり組んだ。啄木にみられる自由で創造的な教育は1910年代中葉,大正中期から新教育運動として開花する。…
…1889年渋民村となり,1954年玉山村に合体。石川啄木の故郷で,彼の〈かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川〉はよく知られる。西に岩手山(2041m),東に北上高地の残丘姫神(ひめかみ)岳(1125m)を望み,中央を北上川が流れる。…
…主産業は農業で,米のほかホップ,野菜などの栽培,畜産が行われる。外山早坂高原県立自然公園に含まれる岩洞(がんどう)湖,スズランの名所として知られる姫神山などの景勝地があり,姫神山西麓の渋民は石川啄木の生地で,啄木記念館がある。【松橋 公治】。…
…明治法律学校卒業。つとに《明星》の同人として活躍し,その廃刊後は石川啄木や吉井勇らと《スバル》を刊行した浪漫主義系の文学者であるが,一方で神田神保町に法律事務所を開業するリベラルな弁護士でもあった。生田葵山(きざん)の小説《都会》(1908)の発禁事件や,与謝野鉄幹との縁で担当したと言われる大逆事件の弁護が有名である。…
※「石川啄木」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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